47.あの無人島を売ってほしい... 田中 明(CARS監査役)
今月(2012年6月)15日、それは20世紀前半のフランスを代表するスイス生まれの名ピアノ奏者、アルフレッド・コルト-(Alfred Cortot, 1877-1962)の没後50年に当たる命日です。コルト-は指揮者としても著名で1902年、ヴァ-グナ-の《神々のたそがれ》と《トリスタンとイゾルデ》のパリ初演を指揮したことでも知られています。大正8(1919)年には、私立の音楽学校として有名なパリ・エコ-ル・ノルマル音楽院(École Normale de Musique de Paris)を設立し、その校長も務めました。
ところで、最近一般的には標記のような台詞から連想することと云えば、東京都が購入を考えているあの島のことかもしれませんが、実は、私にはコルト-にまつわる以下のような物語が思い出されるのです。
それは、少々古い話に属しますが、平成6(1994)年初夏、私が私用で山口県萩市を訪れたとき、宿泊したホテルのロビ-で偶然に見た一冊の雑誌、すなわち、地元の山口銀行が発行する定期刊行物『ふるさと山口・きのう・きょう・あした』”1993年〈秋の号〉No.38”(平成5年9月1日発行)に掲載された《三頭火とコルト-》と題する誠に興味深い記事でした。「三頭火」とは云うまでもなく放浪の俳人、種田山頭火のことであり、その三頭火は山口県下関市の川棚温泉(江戸時代、長府藩主の御殿湯がつくられたことでも知られる名湯)がいたく気に入り、そこに庵を結ぶことを切望しながらも希望が叶わず去って行ったとの話を紹介しつつ、続けて、同温泉に投宿したコルト-にまつわる物語が紹介されていました。私はこの物語に大変興味を覚え、帰京後すぐに山口銀行の営業統括部あてに、バックナンバ-の入手可否に加えてこの記事を紹介するために必要な転載許可を願い出ました。以下は、その時の同行によるご厚意の賜です。
「… 川棚温泉を語る時、もうひとり忘れることのできない人物がいる。フランスの世界的ピアニストのアルフレッド・コルト-である。昭和二十七年(一九五二)十月、公演のため来日したコルト-は子息や愛弟子の渡辺照子とともに川棚温泉に滞在した。ホテルの窓から望む響灘の光景、とりわけ小さな無人島の厚島が気に入ったらしく、当時の川棚村長山本勝康に『あの無人島を売ってほしい。私は美しい日本の孤島の王様になりたい』と言い出した。山本村長が『あの島に永久にお住みになるのなら、無償で差し上げましょう』と答えると、コルト-は『トレビアン』を連発しながら、村長と握手を繰り返し、『私の思いはひとりあの島に残るだろう』と呟いたという。そして、このやりとりを聞いていた人が、厚島を孤留島と呼ぼうと提案したところ一同が賛成し、村長も厚島に記念碑を建てるため碑文の揮毫を依頼した。コルト-が一気にしたためた文章は、『音楽は精神の炎をふき出さねばならぬ ベ-ト-ベン』さらに続けて、『このうえなく美しいこの島に友情によって書かれたこの碑文が、願わくば絶えず夢の中に住む精神を持った一フランス人音楽家の思い出をいつまでもとどめておくことができますように』それから十年後、コルト-はスイスの病院で永き眠りについた。」 (註:なお、原文には写真4点が添えられています。)
なんとも心温まる話ですが、私はそれ以前にこの事実をまったく知らなかったため、大変に驚くとともに、機会があったら未だご存じない方々にこれをご紹介しようと思ったのでした。なお、コルト-は前述の昭和27(1952)年9月から11月にかけて来日し、全国各地で公演を行い、山口県では宇部と下関でコンサ-トを開催したとのことでした。