小森昭宏先生&中田喜直先生&CARS 上 明子(CARS幹事/作曲家)
CARSが立ち上がって12年、ずっとご一緒させていただき、沢山のことを学ばせていただいた小森昭宏先生のご訃報をお聞きした時、一瞬何が起こったのかわかりませんでした。余りに突然のことで・・・。
小森先生とのお別れには、お通夜の席に参列させていただいてきました。大勢の方々がお別れに見えていて、私もその列に並びながら様々なことを思い出していました。ふと、前を見ると4~5歳の女の子がその列にお母さんと並んでいました。大勢の大人の中に混ざって、お母さんの目を気にしながらも一生懸命にじっと待っている姿が健気でした。ふとした時に私と女の子の目が合い、「きちんと待っていられて偉いね」って声をかけたことから意気投合し、小さな声でお話ししながら、小森先生の「げんこつやまのたぬきさん」と「おべんとうばこのうた」を一緒に歌っていました・・・とっても小さな声で・・・。私とその女の子にとって、先生との最高のお別れが出来たと思いました。
そして、タイトルのお話しになるのですが、日本童謡協会では2018年に童謡誕生100年を迎えるにあたって、「童謡誕生100年記念誌」を作る作業に奔走しています。童謡協会のイベントの一つで、すでに20年続いている「こどものコーラス展」の歴史を小森先生がお書きになるはずでした。それが叶わなくなり、小森先生の代わりが務まるはずもないのに、そのお役が私に回ってきてしまったのです。
童謡協会の事務局で早速資料漁りを始めていましたら、素晴らしいお宝を発見してしまいました。「こどものコーラス展」の曲集のまえがきを、当時の会長でいらした中田喜直先生が書かれていました。中田先生ご自身がCARSを立ち上げたかったと、すでにその時に思っていらしたのではと思われるような文章が。
その、子どものコーラス展の曲集のまえがきの一部分を抜粋して掲載させていただきます。
(社)日本童謡協会会長 中田喜直
『学校では、生徒にコピーした楽譜を使わせることが多いようですが、私達が子どもの時に歌った唱歌や童謡は今でもよく覚えていて歌うことがあります。子どもの時に歌った合唱曲も同じことですから、その楽譜は一生の宝物になります。そのために、コピーでなく本物の楽譜を使うことが望ましいのです。子ども達がコピーの楽譜を持ってきて、「サインして下さい。」ということがよくありますが、私達詩人、作曲家はコピーの楽譜にはサインをしないことにしています。「理由は先生にきいてね。」と答えていますが、先生はおわかりですか。 1997年3月』
この文は、2000年に中田先生がお亡くなりになるまで、毎年の曲集のまえがきに掲載されていました。
中田先生は当時からとっても真剣に楽譜コピーのことを考えていらしたので、もしかしたらCARSを立ち上げる前段階を奔走されていたのではと想像します。
先月の末吉保雄先生のブログにも、小森先生がそのお話をよくされていたことが書かれていました。私も小森先生とご一緒の場で、中田先生のその姿を実際に何度も見てきていますので、懐かしくその時を思い出したりしています。楽譜コピーは、長閑に懐かしがる事柄でありませんが、お二人の先生のご意思を少しでも繋いでいくことに尽力出来たらと、ちょっと感慨に耽り、私なりにこれからもピリッと向き合っていこうと改めて思っています。