[ブログ] 楽譜de散歩
2025.12.08 創作秘話・作家の思い

「天使のたまご」サントラ盤LPレコードの愉悦 菅野 由弘(CARS代表幹事/作曲家)

【執筆者】菅野 由弘(CARS代表幹事/作曲家)

 監督・押井守と、イラストレーター・天野喜孝、音楽・菅野由弘によって制作されたアニメーション映画「天使のたまご」が、11月14日から「ドルビー・アトモス音響」の映画館で先行公開、同21日からは、全国約50館で公開になりました。既に5月にはカンヌ映画祭のクラシック部門で上映され、アヌシー国際アニメーション映画祭、シドニー映画祭など海外での上映を経て、秋の公開。それに先立つ5月7日には、リマスター・サントラ盤LPレコードとUHQCDが発売されました。40年前の1985年の作品です。復刻盤の再発売では?、と思われる向きも有ろうかと思いますが、今回、非常に丁寧に「リマスタリング」を行い「演奏が蘇った」「音楽の鮮度が戻って来た」と思える仕上がりになりました。

 そもそも「リマスタリング」とは何か? 新しく録音し直したのではなく、当時の演奏がアナログ・マスターテープに残されたものをそのまま使いますので、「音楽そのもの」と「演奏」は変わりません。1985年当時の録音スタジオは、余り響かない構造になっており、楽器の生な音を録音し、それに機械的にリバーブ(残響)をかけて響かせるのが主流でした。その、「付加された音響処理」部分は、現在の機材と技術で変化させることが可能です。これが「リマスタリング」です。例えるとすれば、同じ演奏でも、ホールを替えると違って聴こえる、といった感じです。そしてそれは、音楽の根幹に関わる程、劇的に変化します。いや、しました。「音楽が良くなった」という言い方は、適切ではありません。そう、音楽は全く変わらないのですから。しかし、先にも書いたように、同じ音楽の「演奏が蘇った」「音楽の鮮度が戻って来た」と感じたのです。当時の演奏風景が、演奏者たちの表情が、脳裏に浮かんできました。

 その「鮮度の増した音楽」を、映画「天使のたまご」(4Kリマスター映像+ドルビー・アトモス音響)の海外、および国内公開に先立ち、サウンドトラック盤のアナログLPレコード、UHQCDで同時発売することになったというのが、今回の経緯です。1985年当時は、このサントラ盤もそうでしたが、LPレコードとCDが同時発売された時代で、まだ、LPが主流だった頃かと記憶しています。今回の「リマスター復刻盤」の目玉は、新しく「アナログLPレコードで出す」、という事にありました。1985年当時はまだ、LPとCDが拮抗し始める頃でしたが、その後は、LPは激減し、CDが主流になって行きました。そこから40年を経た昨今、「LPレコードの復権」と言われる時代になってきました。そういう今こそ「LPで復刻盤を出す」という徳間ジャパンの英断に驚喜したことは、想像に難くないと思います。

 LPアナログ・レコードの魅力が、再認識された結果、愛好家が増えています。例えば、坂本龍一の ”async” をはじめ晩年の全ての作品や、ブライアン・イーノの ”SMALL CRAFT ON A MILK SEA”などの作品は、LPレコードとCDが、同時発売されています。特にイーノのこの作品は、一つのBOXに、LP2枚、CD2枚をパッケージにして収める形で発売されています。LPの方がCDより音が良い、といった話ではありません。彼らは、「両方で聴いて欲しい」と思い、それを表現したのです。そして、両方を聴いてみると、その気持ちが分かります。私はこれらの作品を、CDで聴きたい日と、LPで聴きたい日があります。どちらかが良い、悪いではなく、別物なのです。そして、それぞれに魅力があります。もちろん、音楽の中身は全く同じもので音源は変わりません。が、違って聞こえる。この違いは、先ほどの比喩と同じですが、同じ音楽、同じ演奏も、ホールが変わる、天気が変わる、湿度が変わる、お客様の人数や服装でも変わり、全く違って聞こえる、というのと同じです。そしてそれらは、同じ音楽、同じ演奏を、違った「音体験」に変えてくれる素晴らしい装置なのです。LPレコードとCDの違いも同様で、同じ曲から違った「音楽体験」を引き出す重要な要素になり得るかと思います。どちらが良い、悪い、といった矮小な議論ではないのです。

 ひと頃、CDはアナログLPに比べて、音が悪い、というような話がありました。(ひと頃だけではなく、今でもそう信じている人もいるようです)。CDは、高い周波数を、20KHzまででカットしてあるので「音が悪い。」それに比して、LPレコードは、20KHz以上の高い周波数帯域の音もカットしていないので「音が良い」という説。有る高名な音響学者がこの説を発表し、更に高名な脳科学者などが、この説を大いに気に入り、吹聴したため、非常に一般受けしました。また、CDのサンプリング周波数が44.1KHz、これは「音の点=ドット」の集まりで、音情報に空白がある、それに比して、アナログLPは、空白がなく全てを塗りつぶす様に音で埋め尽くされているので、これまた「音が良い」。ちょうど「デジタル万能神話」が崩れかけ、「デジタル」は非人間的、「アナログ」は人間的である、といった論が、声高に叫ばれるようになった頃と重なり、大衆受けした、ミリオンヒットとなった説です。

 そもそも20KHz以上の高周波が、LPレコードに入っていたとしても、針でトレースして音に変える仕組みでは、ほとんど再生できません。ましてや、我々が使うような民生機のレコードプレイヤーでは、全く再生されません。また、聴く側の聴力の問題も出てきます。私は、この稿を書いている時点で72歳、聴力は16KHzあたりまでしか聞こえません。子どもたちは20KHzが聞こえますが、20歳前後の学生を対象に調査してみると、現在では、18KHzが聞こえる人が100人程のクラスで半数に満たないのが現状です。従って、「20KHz以上の周波数の音をカットしたから云々〜」の話は、聴いたことのない領域を論じていることになります。では、何故これほどこの説が受けたか。それは、「デジタル万能」に対する不信感から来る、「アナログ神話」に由来するものと思われます。「高い周波数をバッサリ切っているから、音が悪い」とする人達や、大いに吹聴した有名脳科学者も、実際に、同じソースのLPとCDを聴き比べ、「確かにCDは高周波が聞こえないが、LPは聞こえる」という確証を得たものではないと思います。もしくは、聴いたけれども、耳が悪くて聞き取れなかったか。そして、この説は流行った。そう、ガセネタは蜜の味なのです。

 LPレコードの魅力は、高周波ではありません。また、CD vs LPといった比較に馴染まないのです。「天使のたまご」のLPを聴き、もちろんCDも聴き、改めて私の子供のような音楽の成長(リマスタリング)を心から嬉しく思っています。LPの魅力は、高周波(20KHz以上)にあるのではなく、むしろ、16KHz〜17KHzあたりまでで押さえられ、18KHzまで行くのは希であるという逆のことから生まれていると考えられます。比喩的に言うと、高周波が押さえられる、すなわち「柔らかい音色」もしくは「暖かい音色」になるのです。アナログですので、高周波が押さえられるにしても揺らぎがあります。それが「心地よさ」に繋がっています。もう一つ重要なのが、「針音」すなわちノイズです。人類は、生まれてこの方「無音」で生活したことはありません。音響実験室の一つ、「無響室」という、まったく響きもノイズもない部屋に入ってみると、その居心地の悪さ、恐ろしさが分かるのですが、人間は、実はノイズが好きなのです。しかも「針音」は定常的に正確なノイズではなく、常に変化します。それも心地よい。人は定常的で正確な音は嫌いです。その感覚にもピッタリなのです。もちろん、もっともっと数え切れないくらいの魅力の断片がありますが、この2つは、大きな要素です。CDも、その解像度の良さ、高周波帯域の「音の抜け」の良さ、正確さについては、LPを凌ぐものがあります。しかし、どちらが「良い」「悪い」といったものではありませんし、比較そのものが無意味だと思います。両者は違うもの、違った表現力を持っているのです。何度も書いてきましたが、音楽演奏に於ける「ホールを替える」ようなもの、同じ演奏者、同じ曲でも、今日はこのホールで聴きたい、明日は別の所で違った音楽体験をしたい、というのと同じと考えられます。

 我が子「天使のたまご」も、今日はLPで聴きたい、また別の日にはCDで聴きたい、ある日は我が子でも聴きたくない時もあります。もう一つ大きな魅力は、LPレコードは摩耗します。かなり良い装置で聴いていても、すり減ってノイズが出てきます。しかし、そのノイズは、自分がこれを聴いた証しで、何百回も聴けば、ザラザラになって行きますが、それこそが、自分が聴いた痕跡を、溝に刻んだものに他ならないのです。「ノイズは宝物」、その奥からきこえてくる音楽は、記憶の中で鮮度を保ち、聴いた時の記憶を呼び覚ましてくれるものと思います。あなたの中で、この音楽が生き続けることを願ってやみません。そして、LPとCDという二卵性双生児から得られる、「異なった音楽体験」は、大いに楽しんで頂けると信じています。

「天使のたまご」音楽編:発売元:徳間ジャパンコミュニケーションズ