[ブログ] 楽譜de散歩
2024.12.24 音楽と社会

BGMがニュースを歪曲する  菅野 由弘(CARS代表幹事/作曲家)

【執筆者】菅野 由弘(CARS代表幹事/作曲家)

昨今、テレビのニュース番組の「ニュース」のBGMが多くなったような気がします。いつも監視しているわけではないので、本当は、もっと前から増えていたのかもしれないのですが、2024年の年明けから、かなり増え、4月からは非常に気になるレベルでBGMが増加したような気がします。映画やテレビドラマなど、様々な場面で、音楽が表現の一翼を担っていることは、誰しも認めるところかと思います。ということは、音楽は、様々な映像表現を高めるために、演出する役割と力を持っていることになります。これを「ニュース」に当てはめると、ニュースを演出する役割を果たすことになります。そもそも、ニュースを演出して良いのか、重大な欠陥を隠蔽したり、政治家の嘘を軽く見せたり、大したことのないニュースを、今年一番の出来事のように盛り上げたり、そんな事が許されるのでしょうか?許されなくてもやっているのが現状です。放送局のディレクターが、ニュースを見せたい方向に演出して視聴者に届けている、言い換えれば、ニュースを意図的に歪曲して放送していることになります。「BGMがあってもなくても、ニュース・ソースは変わらないのだから、意図的な歪曲をしている、などといわれる筋合いはない」という言い訳は用意されていると思います。しかし、音楽は、同じソースを違うように見せる力を持っています。それは、映画やドラマで実証済みですし、全ての人が認めるところです。また、ニュースに音楽を載せると、「楽しく見せられる」「気分が良くなる」など、ポジティブな意見も当然あろうかと思います。しかし、人の脳の情報処理能力には、限界があります。ニュースにBGMがのることによって、脳内処理能力の幾ばくかは音楽に向けられることになり、ニュースの内容の判断を阻害します。たとえそれが僅かであっても、本来は目一杯ニュースの判断に向けられるべきもので、わざわざ減らす必要はないのです。

 同じことが、「天気予報」にも言えます。実は、2010年8月に、私のコラムとして「能天気予報と音楽」という文章を投稿したことがあります。

https://storage.googleapis.com/studio-design-asset-files/projects/p6ao1Z0NOR/s-1x1_2d7ee1f5-1882-4535-acfb-f79bfafcb2c0.pdf

 もう14年も前のコラムですが、この中に「2-3年前から、天気予報に音楽が流れ始めた」との記述があります。天気予報の場合、これを演出する必要は全くないと考えます。それどころか、いつも同じような「能天気な音楽」が流れると、例えば「熱中症の危険がある暑さ」や「強風と、線状降水帯の発生に注意」、「大雪の危険性」といった重要な情報が、「穏やかな春の日と同じようなレベル」で捉えられてしまい、危機感、危機意識が減ると言う現象が起きます。いやいや、視聴者はそれ程馬鹿ではない、という声が聞こえそうですが、ある学生が大学の卒業研究でこの問題を取り上げ実験したときに、「明らかに引っ張られる」結果が出ています。もちろん、これには個人差が大きく関わりますので、影響が少ない人もいます。が、影響は存在します。面白かったのは、事前アンケート調査で「自分は、ニュースにBGMがあったとしても、それに影響される筈がない」という答えを寄せた人の多くが、実際には「引っ張られる」結果だったことです。私は、60歳を過ぎた頃から、車を運転するときに、BGMを聴かなくなりました。というのは、音楽があるとどうしてもそれに意識を取られる瞬間があり、運転に集中出来ない可能性があると感じたからです。若い頃には、そういった感覚を持つことはなかったので、年と共に判断力が落ちたという結論に至ったわけです。そう考えると、若い人のみならず、万民に届けるニュースや天気予報のBGMは、やめるべきだと強く思います。

 同じようなことが、「駅メロ」にも言えます。楽しくもあり、駅や地域の特徴も表し、駆け込み乗車のタイミングを計る指針としては、大変有用です。が、何らかの危険を回避する判断を阻害する要因ともなっています。安全への配慮よりも、人を楽しませるサービスの方を優先する、という考え方だと思いますが、それはいかがなものか、と私は思います。私が利用する東急電鉄の駅では、駅メロは流れません。こちらの方が、安全への配慮が行き届いていると断言できます。

 この7月のパリオリンピックで金メダルを獲得した、スケボーの堀米雄斗選手。彼は、暫定7位で迎えた最終5本目の滑走前、メダルを獲得できないかもしれないという重圧の中、「無音」のイヤホンを着けて集中したそうです。

 「音楽とかは流さず、無音」

 周囲の盛り上がりの中、ただ一人耳を閉ざし、極限まで集中力を高めての大一番。
 集中力を得るためには、音楽は邪魔になる、という極限からの声です。

 そこまで集中する必要はないのかも知れません。また、集中から解き放たれたい時に音楽を聞くことは、素敵な効用だと思います。しかし、それにしても世の中にBGMが多すぎる、氾濫危険水位、いや氾濫危険音位を超えると感じています。花火に音楽、スキー場の音楽、ビーチの音楽、スクランブル交差点の音楽、街を歩けば音楽、音楽、音楽、そして音楽。テレビをつければ、鳴りっぱなしのBGM。そうした、過剰、余計な音楽は消し去り、本物の音楽を、深く楽しんで頂きたい、というのが作曲家としての切なる願いです。こんな事を書いたところで、1ミリも変わりはしないかも知れません。が、1万分の1ミリでも変わることへの希望は持ち続けたいと思っています。