「EXPO’70 CLASSICS」とクラシック音楽 島茂雄(日本楽譜出版協会理事・事務局長)
私がクラシック音楽を聴くようになったのは、中学生のころです。ベンチャーズのバンド音楽やグループ・サウンズが盛んな頃でこれらのポピュラー音楽もTVやラジオで聴いていた頃でした。ベートーヴェンの「運命」を聞きたくてレコードを購入したくなりましたが、我が家にはステレオがなく父親が役所で航空機の技官をしていたこともあり、そのころでは珍しかったテープ・レコーダーを我が家は購入していて、父がラジオ放送からベートーヴェンの「運命」を録音してくれました。そして、全音楽譜出版社の楽譜(スコア)の「運命」(1966年2月23日購入)、「第九」(1966年12月31日購入)を購入してくれました。父は、録音(当時はモノラル録音)を聞きながら楽譜(スコア)を追っていけました。父は、航空機の技術者でしたので技師らしく「楽譜は、音楽の設計図だよ。」と言っていました。
1966年4月に「カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団」が来日して東京公演をNHK-TVやNHK-FMで生中継放送があり「運命」と「第九」をTVで見てさらに聞きたくなりました。
その後、自分でも「第九」等をラジオのクラシック放送から録音して楽しみ始めていました。クラシック音楽と楽譜(オーケストラ・スコアいわゆる総譜)との出会いでした。当時の録音テープは、5号リールしかかからないテープ・レコーダーでしたので、片面で45分(9.5cm/sec)の録音時間でした。「第九」の第2楽章終わりから第3楽章にかけて、テープをひっくり返さないといけないありさまでした。この時に楽譜(スコア・総譜)が役に立ちました。
後に、中学校でステレオ装置を持っている友人を知り、学校の昼食のパン代から1日100円ずつ貯めて20日間で1か月に一枚のレコード(当時レコードは1枚が2,000円)を購入していました。そして、自ら購入したレコードを録音させてもらいました。ベートーヴェンの「運命」、「第九」、「田園」、「英雄」、第7番。ドボルザークの「新世界」、チャイコフスキーの「悲愴」など有名な交響曲や管弦楽曲を聴き始めていました。録音するたびに、全音の楽譜を購入しては、録音の手引きに使用していました。
小生が初めて生のオーケストラを聞いたのは、中学生のころ親父に誘われて、若杉弘指揮読売日本交響楽団で曲目はベートーヴェンの序曲「レオノーレ」第3番と安川加寿子さんのピアノによるピアノ協奏曲第4番と交響曲第5番「運命」を東京文化会館で1967年3月23日の演奏会でした。やはり、生演奏のオーケストラは、レコードとは違いを感じました。また、外国のオーケストラの生演奏を初めて聞いたのは、1967年11月3日、W.サヴァリッシュ(のちにN響名誉指揮者)指揮ウィーン交響楽団日本公演のシューベルト交響曲第6番、R・シュトラウス交響詩「死と変容」、ベートーヴェン交響曲第5番「運命」でした。本場、ウィーンのオーケストラの演奏は、迫力と緻密で美しい音楽であったことを今でも記憶しています。

画像:1966年父親が購入してくれた全音の楽譜(1966-02-23)

1967年10月「ベートーベン展」プログラム&入場券
また、1967年10月には、「ベートーベン展」(当時の主催者表記)が大阪フェスティバル協会の主催で東京と大阪で開催され、中学校の美術の先生からチケットの割引優待券をもらい、ベートーヴェンの自筆楽譜や遺品の展示を鑑賞しました。自筆楽譜やベートーヴェンが弾いたピアノや遺品を見学していて、ベートーヴェンがそこに生きているような錯覚を感じとても感動しました。
高校生になり、1970年に大阪で日本万国博覧会が開催されるというニュースが話題になりました。日本万国博覧会協会が主催して、「EXPO‘70 CLASSICS」というイベントが開催されるニュースが音楽雑誌などで報道されました。今までレコードでしか聞いたことがなかった世界中のオーケストラやオペラ・ハウスが来日して、大阪の万博ホールや大阪フェスティバル・ホールなどで開催されることになったのです。小生は、まだ高校生でしたので、一番聞きたい曲とオーケストラが大阪で演奏会を開催するというので、郵便配達のアルバイトをして、万博公演(大阪)のチケット代と交通費代を稼ぎました。
1969年の秋に、「EXPO‘70 CLASSICS」を日本万国博覧会協会と主催をしている大阪国際フェスティバル協会の東京支部に訪ねました。運よく「EXPO‘70 CLASSICS」の万博公演のカラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のベートーヴェン生誕200年記念ベートーヴェン・チクルスの交響曲第9番の演奏会のチケットを購入することができました。その時に、東京支部のスタッフからアルバイトをしないかと誘われ、東京文化会館の入口で、やはり万博公演で公演をするパリ管弦楽団の東京公演のチラシを配布してほしいと依頼されました。その代わりにパリ管弦楽団の東京公演のチケットをプレゼントしようという機会に恵まれました。
1970年、万博の年には、4月に「EXPO‘70 CLASSICS」パリ管弦楽団の東京公演を前記した大阪フェスティバル協会のご招待で鑑賞したことから始まりました。パリ管弦楽団は、1968年初代音楽監督に名匠シャルル・ミュンシュが就任。ミュンシュが米国演奏旅行中に客死、1969年2月にはH.V.カラヤンが楽団音楽顧問に就任。常任指揮者にセルジュ・ボドが就任していました。「EXPO‘70 CLASSICS」では、4月14日~20日にセルジュ・ボドとジョルジュ・プレートルが指揮、ピアニストにアレクシス・ワイセンベルクが登場しました。前記の通り東京公演は、4月21日にセルジュ・ボド指揮パリ管弦楽団を鑑賞し、曲目は、フランスを代表する名曲であるフランク交響曲ニ短調、ドビッシー「牧神の午後への前奏曲」、ラヴェル「ダフニスとクロエ」組曲第2番でした。管楽器や弦楽器の見事な明るい響きと美しいバランスの演奏でフランス音楽の神髄を感じました。

画像:1970年パリ管弦楽団東京公演プログラム表紙(1970-04-21)

1970年パリ管弦楽団東京公演プログラム扉&招待カード(1970-04-21)
いよいよ5月12日から13日に待望の大阪で開催される日本万国博覧会に行くことなり、親父が「万博に行くなら家族全員で行こう」ということになり、往路は新幹線で行く予定でしたが、急遽、飛行機で行くことになり、大阪に前日から一泊してから万博会場に行きました。万博会場のパビリオン見学では、ドイツ館が5月13日には、ドイツ・ナショナル・デーを開催し、ベートーヴェンの生誕200年記念でドイツ館レコード・ライブラリーに展示されているドイツ・グラモフォンのレコード・カタログが配布されていました。また、シュトックハウゼンの現代音楽も電子音楽で紹介され、館内で演奏していました。
また、鉄鋼館では、施設の中心には音楽堂のスペース・シアターがあり、武満徹をプロデューサーに迎え、特殊スピーカーを用いた録音音源の放送や楽器彫刻による演奏などが行われていました。他に、太陽の塔などいくつかのパビリオンを見学してから、家族とは夕方に別れ、夜、「EXPO‘70 CLASSICS」が開催されている大阪のフェスティバル・ホールに行きました。

画像:EXPO70=カラヤン&ベルリン・フィル万博公演プログラム(1970-05-13)

画像:EXPO70=カラヤン&ベルリン・フィル万博公演プログラム&チケット(1970-05-13)
5月13日は、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のベートーヴェン生誕200年記念ベートーヴェン・チクルスの第5日目で交響曲第9番「合唱付き」でした。独唱は、リゼロッテ・レプマン(ソプラノ)、ブリギッテ・ファスベンダー(アルト)、ウェルナー・ホルウェーク(テノール)、ゾルタン・ケレメン(バリトン)、合唱は、ベートーヴェン生誕200年祝祭合唱団でした。演奏は、第1楽章から重厚感あふれる管弦楽の演奏に圧倒されながら第4楽章で独唱者と合唱団とオーケストラの合奏音圧に圧倒され感動とともに聞き終えました。“これがカラヤン&ベルリン・フィルの生演奏の音楽なのだ”と圧倒されました。

写真:EXPO70=カラヤン&ベルリン・フィル万博公演(第九公演1970-05-13)
(写真提供:(公財)朝日新聞文化財団:EXPO‘70 日本万国博覧会・第13回大阪国際フェスティバル共同主催公演 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団公演)
※写真のダウンロードを禁じます。
帰りは、新幹線の終電に間に合わないので、大阪から夜行列車で次の日の朝、東京駅に着きました。ともに演奏会に行った友人と演奏会の話題をしながら寝台列車に揺れながら帰ったのを思い出します。
その後、カラヤン指揮ベルリン・フィルは東京公演も開催し、5月21日に東京文化会館で、曲目は、オール・フランス音楽でベルリオーズ幻想交響曲、ラヴェル「死せぬ王女のためのパヴァーヌ」、「ダフニスとクロエ」組曲第2番を聞きました。4月に聞いたパリ管弦楽団との比較をしながらも重厚感といぶし銀の煌びやかさのある演奏でした。美しい音楽を追求するカラヤンらしい重厚で緻密な演奏でした。そして、追加で特別演奏会を主催した朝日新聞社と日生劇場が音楽ファンに全国からハガキ応募抽選がありました。小生は、抽選にもれてしまいましたが、前日の東京文化会館での演奏の興奮冷めやらずに5月22日の演奏会当日、主催者に電話連絡をしたら当日券があるというので予約しました。曲目は、ベートーヴェン交響曲第2番、第5番「運命」で会場は日比谷公会堂でした。当日券なのに1階の比較的前の方の席で、カラヤンの指揮ぶりも少しは見える席でした。第5番「運命」の第1楽章から有名な冒頭のテーマも力強い迫力で始まり、第3楽章のスケルツォ形式のトリオの主題の部分をチェロとコントラバスのモチーフを模倣しながらファゴットとビオラから第2ヴァイオリン、第1ヴァイオリンにフーガのようにモチーフを歌いつないでいくところは見事な緊張感で、そしてスケルツォが再現され、第4楽章の勝利のフィナーレで管楽器のトロンボーンが加わり最大の圧倒的な迫力の演奏だったのよく覚えています。カラヤン指揮ベルリン・フィルは、レコード録音よりライブ演奏の方がはるかに迫力ある演奏することを感じました。

画像:カラヤン&ベルリン・フィル東京公演プログラム&チケット(1970-05-22)
6月にカラヤン指揮ベルリン・フィルはウィーン・ムジークフェライン・ホールでもベートーヴェン生誕200年記念として、ベートーヴェン・チクルスで交響曲全曲演奏会を開催しました。NHK-FM放送でライブ録音放送され、小生もエアチックして、当時の録音を聴くことができました。
同じ時期の5月には、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団の万博公演が5月15日~18日に開催されました。東京公演は5月22日に、曲目は、モーツァルトの交響曲第40番とシベリウス交響曲第2番、26日には、ベートーヴェン交響曲第3番「英雄」他でした。5月22日の東京公演は、NHK―TVやFM放送のライブ録音でモーツァルトの交響曲第40番とシベリウス交響曲第2番を放送されたものをTVやFM放送で聞きました。弦楽器や管楽器や打楽器のアンサンブルなど、オーケストラの演奏の機能が完璧にコントロールされていて、素晴らしかったです。正確無比な演奏技術、室内楽的とまで評された純度の高いアンサンブル、微妙なニュアンスの表現力、ヨーロッパの伝統に育まれた指揮者ジョージ・セルと、その美意識によって鍛え上げられた高い演奏技術を誇る演奏会でした。初めての来日で名演を残したジョージ・セルは帰国後まもなく1970年7月30日に急逝してしまいました。その後、この東京公演、モーツァルト交響曲第40番とシベリウス交響曲第2番の演奏は、レコード化、CD化され今でも聞くことが出きる名演として残っています。
これまでに万博で開催中の「EXPO‘70 CLASSICS」では、オペラでは、3月16日にベルリン・ドイツ・オペラがマゼール指揮で故ウィーラント・ワーグナー演出によるワーグナー歌劇「ローエングリン」やモーツァルト歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」他をD. フィッシャー=ディースカウ他名歌手たちとベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団とで上演しました。「ローエングリン」は、当時、FM放送でライブ中継されました。小生は、第3幕をFM放送で聞きました。第3幕前奏曲の演奏が始まると演奏が突然中止されました。どうやらオケ・ピットの照明が切れたそうで、第3幕前奏曲を再度、演奏されました。アクシデントがありましたが、迫力のある演奏だったのを覚えています。
6月には、デッカー指揮モントリオール交響楽団が公演。
7月には、巨匠ムラヴィンスキーの代役でA・ヤンソンス指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団が万博公演を7月1日~5日に開催。7月1日の曲目は、ショスタコーヴィチ交響曲第5番、チャイコフスキー交響曲第5番でした。後日、このコンサートもFMライブ放送されました。その後、放送録音がCDで発売、現在でもこの演奏録音を聞くことができます。
8月には、イギリスの著名なオーケストラでプリッチャード指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団の演奏会も開催されました。
同じく8月には、ボリショイ・オペラが、シモノフ指揮でムソルグスキー歌劇「ボリス・ゴドノフ」、ロストロポーヴィチ指揮でチャイコフスキー歌劇「エウゲニー・オネーギン」、ロジェストヴェンスキー指揮でチャイコフスキー歌劇「スペードの女王」が上演されました。いずれもボリショイ・オペラの名歌手たちとボリショイ・オペラ劇場管弦楽団。当代の名巨匠によるロシア・オペラの上演です。当時は、ソ連時代でしたがよく実現されたと思います。
9月には、ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団(指揮:バーンスタイン、小沢征爾)が万博公演で開催されました。
東京公演では、9月5日~8日まで東京文化会館で開催されました。9月5日のレナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の曲目は、マーラー交響曲第9番でした。実は、小生は、この演奏会をバーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルのレコードを購入した時のキャップ(帯の代わりのようなもの)についている応募券で応募して、抽選でコンサート・チケットが当選しました。小生は、マーラー交響曲第9番の演奏は、初体験で、マーラーの音楽を生演奏で初めて聴きました。初見の曲なのにとっても感動しました。冒頭から現代音楽のような感じがしました。バーンスタインが「マーラーの音楽は、現代人に聞いてほしい音楽だ。」と語っていたように、バーンスタインの魂の響きが伝わってきました。演奏会後にもかかわらずバーンスタインは、楽屋口のソファーで音楽ファンにサインをしてくれました。後日、新聞等でこの日の演奏会については、音楽評論家の吉田秀和さんが賛辞を評したようにバーンスタインの名演奏として語り継がれているそうです。
9月7日の演奏会の曲目は、ハイドン交響曲第101番「時計」、コープランドクラリネット協奏曲、ベルリオーズ幻想交響曲が演奏されました。アンコールに、スーザ行進曲「星条旗よ 永遠なれ」が演奏されました。
小生は、5月にカラヤン指揮ベルリン・フィルでベルリオーズ幻想交響曲を聞いていました。同じ東京文化会館での演奏でカラヤン指揮ベルリン・フィルとバーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルの演奏との大きな違いを感じました。カラヤンは、どこまでも美しい表現と緻密なアンサンブルに徹底していました。バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルの幻想交響曲のレコードには、バーンスタインが幻想交響曲をバーンスタイン自身による楽曲アナリーゼ「ベルリオーズのサイケデリックな旅行」と題しナレーションをしている解説録音で語っているのを聞いていました。ニューヨーク・フィルは、教育者としても活躍した「バーンスタインのヤング・ピープルス・コンサート」という番組が日本でもTV放送されていたこともあり、なじみがありましたが、生の実音を聞くと大陸的な響きといいますか、バーンスタインの大ぶりな指揮表現で迫力があり、幻想交響曲のサイケデリックな演奏に圧倒されました。そして、アンコールでは、吹奏楽でよく演奏されるスーザの行進曲「星条旗よ 永遠なれ」が演奏され、オーケストラといえ、ブラス・バンドばりの金管楽器奏者の演奏に圧倒されました。弦楽器がテーマ・メロディーを奏でるところをピッコロが第二メロディーを高らかに鳴らして、存在感をあげています。最後は、ブラス・セクションが高らかに響かせていました。オーケストラ演奏による「THE・AMERICAN BLASS」を感じました。マーラーを得意としていたバーンスタインは、ニューヨーク・フィルだけでなく、1980年代にウィーン・フィル他とも録音や録画を残しています。中でも、1979年のベルリン・フィルとマーラー交響曲第9番をライブ録音したCDは、名盤として残されています。バーンスタインは、作曲家としても有名でミュージカル「ウェスト・サイド・ストーリー」は、今でも映画版や「ウェスト・サイド・ストーリー」の“シンフォニック・ダンス”も現代でもよくクラシックで演奏される名曲です。
1970年の万博の年に開催された「EXPO‘70 CLASSICS」は、記述以外にもパイヤール室内管弦楽団、ピアニストのスヴャトスラフ・リヒテル。日本のオーケストラでは、小澤征爾指揮日本フィル、朝比奈隆指揮大阪フィルなど岩城宏之指揮NHK交響楽団、若杉弘指揮読売日本交響楽団、渡邉暁雄指揮京都市交響楽団などが公演されました。また、二期会のワーグナー楽劇「ラインの黄金」、團伊玖磨自身の指揮による歌劇「夕鶴」(大阪フィル)なども上演されました。半年間に渡り開催された「EXPO‘70 CLASSICS」は、世界中の著名な巨匠指揮者やオーケストラやオペラ・ハウスの音楽を生で触れ合う機会を日本のクラシック音楽ファンに与えてくれたと思いました。6か月間でのべ29種目、103公演で、入場者数は、15万人におよんだそうです。小生は、高校生でしたので、生演奏会はパリ管弦楽団とカラヤン指揮ベルリン・フィル、バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルの3大オーケストラを聴けたのは、幸運でした。また、NHK―TVやFM放送を通じて、レコードでも聞いたことのないオーケストラやオペラ・ハウスの生の演奏を聴けたのは、1970年この万博の年の経験がクラシック音楽ファンになるきっかけになったといえるでしょう。
万博の年、1970年に「EXPO‘70 CLASSICS」が開催されたことは、おそらく私だけでなく日本の多くのクラシック音楽ファンを増やしたといって良いのではないかと思います。

写真:(参考資料:音楽之友社刊「EXPO‘70CLASSICS総集編 万国博の音楽家」表紙)
その後、1975年、大学時代に聞いたカール・ベーム指揮ウィーン・フィルは、NHKホールであっても見事にまとまった美しい響きのオーケストラ・サウンド体験を味わうことになり、また、1980年に鑑賞したカール・ベーム指揮ウィーン国立歌劇場の日本公演は、「フィガロの結婚」はじめウィーン・オペラの醍醐味を初めて体験することになりました。それ以降、毎回、ウィーン音楽の虜となりました。そしてさらに、毎年、世界のオーケストラやオペラ・ハウスの来日公演演奏会を体験することになっていきました。
世界のオーケストラでは、万博公演以来の1973年、1977年、1979年、1981年、1984年、1988年にカラヤン指揮ベルリン・フィルを始め、1974年バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル、1977年、1980年ベーム指揮ウィーン・フィル、1978年、1984年スイトナー指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団、1985年プロムシュテット指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団、1986年マゼール指揮ウィーン・フィル、1986年クライバー指揮バイエルン国立管弦楽団や1986年小澤征爾指揮ボストン交響楽団、1986年ヨッフム指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、1986年小澤征爾(カラヤン代役)指揮ベルリン・フィル、1987年インパル指揮フランクフルト放送交響楽団、1987年アバド指揮ウィーン・フィル、1991年、2004年、2008年、2015年、2019年、2024年ウィーン・リング・アンサンブル、1992年デイヴィス指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団、2000年小澤征爾指揮ウィーン・フィル、2004年ゲルギエフ指揮ウィーン・フィル、2007年バレンボイム指揮ベルリン・シュターツカペレ、2013年ティーレマン指揮ウィーン・フィル、2008年、2016年ラトル指揮ベルリン・フィル。
ピアニストでは、1979年、1986年S.リヒテル、1986年V. ホロヴィッツ、1987年D.バレンボイム、1992年A.B.ミケランジェリ、2016年M.ポリーニ、2024年R.ブッフビンダーなどです。
オペラ・ハウスでは、1983年、1987年、1990年、2007年ベルリン国立歌劇場、1984年ハンブルク国立歌劇場、1986年、1989年、1994年ウィーン国立歌劇場、1986年英国ロイヤル・オペラ・ハウス、1986年ソ連国立レニングラード・キーロフ劇場バレエ、1987年ホルライザー指揮ベルリン・ドイツ・オペラ(ニーベルングの指環)、1988年サヴァリッシュ指揮バイエルン国立歌劇場、1988年レヴァイン指揮メトロポリタン歌劇場、1988年クライバー指揮ミラノ・スカラ座、1989年シーポリ指揮バイロイト音楽祭、1991年サンティ指揮アレーナ・ディ・ヴェローナ、1998年ティーレマン指揮ベルリン・ドイツ・オペラ、2004年、2008年小澤征爾指揮ウィーン国立歌劇場、2007年ドレスデン国立歌劇場などです。また、機会がありましたら来日公演の様子をご紹介いたします。
1970年万博「EXPO‘70 CLASSICS」の開催で日本が本場のクラシック音楽に触れる貴重な機会になりました。それから55年が経ちました。
先日、「EXPO 2025年大阪・関西万博」が閉幕しましたが、日本のオーケストラも欧米並みの演奏力を身につけて来たようです。今回は、世界の人々が集まる機会に、大阪の在阪のオーケストラなどが世界に向けて、発信したいと意気込んでいるようで、「大阪・関西万博開催記念 大阪4オケ2025」も開催されたようです。また、「大阪国際文化芸術プロジェクト」なども開催され、「大阪・関西万博」の見学を含めて、海外からの来日渡航者が増加したようです。2025年「大阪・関西万博」が海外の人々にとって日本文化や外国文化を触れる貴重な機会になったことを祈念します。
2025.10.27 島 茂雄(一般社団法人日本楽譜出版協会・理事・事務局長)