[ブログ] 楽譜de散歩
2025.06.30 楽譜出版社の思い

若かりし頃のコンサートの想い出 下條 俊幸(日本楽譜出版協会 顧問)

【執筆者】下條 俊幸(日本楽譜出版協会 理事長)

20年にわたる単身生活を終え、昨年家族の元へ戻り生活を始めることとなった。今思えば、単身赴任が始まった時、二人の子どもは中学、高校と、正にやんちゃ盛り、家内の自由気ままな性格も追い打ちをかけ、家族のことを心配しながら慣れない仕事とその圧迫感も重なって、日々思い悩まされていた事を思い出す。当初3年という単身赴任の命令が、会社事情により無期限の延期となり、いつの間にか、その話すら断ち切れしまった。ただ私はというと、家庭の心配事は、無責任であろうが何であろうが、取り敢えず横に置くテクニックを身につけ、誰の干渉もない気楽な東京生活を謳歌、気がついたら20年というわけである。今に至っては、当然のことながら二人の子どもはすでに独立し、これから自宅で過ごすことになるのは、妻と愛犬が2頭。今まで好き勝手に暮らしてきたのが身に付いているだけに、自由の効かない、これからの長い時間を共にすることへの一抹の不安を抱えながら、そろそろ1年が経過しようとしている。

 自宅での日々の過ごし方にも慣れた頃、時間が取れない事を理由に、今まで敬遠していた生活用品から身の回りの品々の整理、処分を始める。必ずしも終活の一環ではなく、ゆっくり過ごしていくための身辺整理という事である。

猫の額ほどの自宅庭廻りから取りかかり、家具、置物、衣服等に至るまで、その気にさえなれば、思い出深いものであろうがなかろうが、その決別は割と気楽で作業は順調に進む。毎年4月に市役所から配布される一年分の粗大ゴミシールを、アッという間に使い切ってしまう程、不要なもの(不要なものと判断しなければならないもの含め)が、この狭小住居に大量に押し込まれていた事に我ながら驚く。

暫く前から、今取組みの終盤戦として書籍、資料の類いに取りかかる。ところが作業はスローダウンどころか突然停止してしまうことになった。犯人は、学生時代から足繁く通った国外オケのコンサートのパンフレットを、本棚の奥から塊で救出することになるのである。その瞬間にタイムスリップ、懐古に耽りながら発見したパンフとともに時空の旅モードに入った。

そこで今回は、若かりし頃の思い出深いコンサートの数々を、記憶にもう一度留めるために、幾つか紹介しつつ整理してみたい。ただし必ずしもランキングということではなく、二十歳前後の音楽経験発達途上の身ゆえ、たまたま自身の記憶に残った、身勝手なコメントであることは予めご承知おき頂きたい。

先ずはウィーンフィルの想い出を一つ。それは、1977年2月のCドホナーニによる名古屋公演。オケを始めたのが大学からでまだ1年足らずの頃、実は国外オケを鑑賞するのは初めての経験である。当日のプログラムは、未完成とティル、メインはベト7。シュトラウスの色彩的で華やかな響きと、ベートーベンでは、1楽章冒頭のアインザッツに続くオーボエの神々しいフレーズと弦のシルキーなサウンド。いきなり全身が震え、感動とともに今でも耳と心に鮮明に残っている。ちなみにウィーンフィルは、その3年後の1980年、Lマゼールとの来日公演にも聴きに行ったようで、パンフレットは手元に残っているものの残念ながら記憶の中にはない。

次に紹介しておきたいコンサートは、スヴェトラーノフ率いる国立アカデミー・ソビエト交響楽団、現在のロシア国立交響楽団である。1978年10月の来日公演。プログラムは、ルスランにシチェドリンのPコン、メインはチャイコの5番、時代が時代、言わずもがなロシアプログラムである。同オケとスヴェトラーノフについての予備知識を入れつつ、楽しむと言うより、どちらかと言えば興味半分で出掛けた事を覚えている。結果、団員の尋常でない馬力とスヴェトラーノフのエネルギッシュな音楽表現は想定以上。度肝を抜かれた事を今でも忘れない。何しろチャイコ5番、1楽章冒頭のクラリネットソロのフレーズがフォルテッシモで始まる違和感と驚き、その先がどうなるのか素人ながら心配するのであるが、終わってみれば、全曲の構成とバランス感、好演であったことは言うまでもない。考えられない程のダイナミズムと土臭く大陸的とも言える粗々しいサウンドの一方、洗練され磨き抜かれたピアニッシモが、チャイコのメロディーに乗って聞こえたとき、両極的であり、その落差の同時体験はこのオケでしか味わえない至福の瞬間でもあった。

もう一つ、チェリビダッケとロンドン響。それは1980年4月。コダーイのガランタにマ・メール・ロワ、メインはブラ1というプログラムであった。オケを愛好する御仁へ今さらチェリビダッケのことを詳しく申し上げるのは控えるが、当時、数年前の読響公演で初来日した際のメディア情報で初めてこの指揮者を知ることになるのだが、当時「幻の指揮者」とか「音の魔術師」と表され、神格化されたような情報の真偽を確かめてみたいと言うことに他ならない。休憩後メインのブラームスでは、チューニングは団員一人一人、指揮者自らチェックし、その後パートごとに確認、弦が一通り済むと次は管セクション。気が付くと30分近く経過している。観衆は静かに見守り、私はというとせっかちな性格にも関わらず抵抗感はない。マジックにかかったのかも知れない。本番では、響きの美しさ、艶やかなサウンドに魅了され心地よい気分で会場を後にした事を覚えている。

誌面もあるので一先ずここで置く。記憶に残る公演のみ記載しておこう。

ニューヨークフィルは、78年のラインスドルフと79年のバーンスタイン。ムラビンスキーのレニングラードは79年、クリーブランドは78年のムーティと82年のマゼール。ノイマンのチェコが79年でバーンスタインのイスラエルとムーティのフィラデルフィアは85年などなど。オケ以外では、ドレスデン十字架によるカンタータ、さまざまな編成の室内楽とピアノリサイタルの数々。

今から思えば何とも豪華な経験をしたものだ。当時国外オケのチケットは、S席で大凡10,000円から、ウィーン・ベルリンなどAクラスは15,000~18,000円の時代。当然のこと大学の講義はそっちのけ、アルバイトに集中して軍資金にする訳だが、当時から本分である勉学不足を気にしつつ、社会人人生、その付けが回ったかどうかは定かではない。我が人生に悔いはなし。


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