二人の若き詩人に学ぶ 織江 りょう(CARS幹事/作詞家)
昨年の夏、山口県仙崎の「金子みすゞ記念館」に行った。また、今年に入って愛知県半田市の「新美南吉記念館」に行った。どちらも郷土が生んだ世界に誇る児童文学界の星たちであり、30歳を待たずに他界した人生だった。
金子みすゞは、1903年(明治36年)生まれ。大正末期の童謡詩人として活躍した。20歳の時に雑誌「童話」に投稿した作品「お魚」が、西条八十によって見出され、世の中に発表された。八十に「この感じはちょうどあの英国のクリスティナ・ロゼッティ女史のそれと同じだ」とまで言わしめた逸材である。金子みすゞの出現は、当時の童謡界に新鮮な驚きを与えた。金子みすゞは、26才という若さで他界するまでの、わずか数年の間に実に512編の作品を残した。その後、半世紀の長きにわたって作品群は埋もれてしまったが、1983年、時代が金子みすゞを呼び戻す。埋もれていた作品群が見つかり、「金子みすゞ全集」(JULA出版局)が出版されたのだ。
現在、金子みすゞの作品は、すべての小学校国語教科書に掲載されている。世界11カ国語に翻訳され、今もその波紋は広がり続けている。特に東日本大震災の直後にTVで流れ続けた「こだまでしょうか」の詩が、暗く沈んだ多くの人のこころに勇気と感動を与えたことは記憶に新しい。
記念館は、みすゞが子どもの頃過ごした小さな港町仙崎の街の中心部につつましくあった。平成15年に開館以来、すでに150万人が訪れているという。住民が、金子みすゞを商業的に利用することなく、温かく見守りながら共に暮らしている姿に高貴なものを感じた。
記念館に居合わせた青年に「どこからきたのですか」ときいたら「北海道からです…」という答えが返ってきた。
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以前、新美南吉生誕100年の年、「児童文芸」誌(日本児童文芸家協会)に新美南吉の童謡詩人としての側面から考察した一文を掲載した時に一度うかがった「新美南吉記念館」は、半田の郊外にごん狐の里をイメージした外観が自然に溶け込むように建っている。
童話としての印象の強い新美南吉(1913年生まれ)だが、その原点は童謡にあった。童謡と童話を並行して書きながら雑誌「赤い鳥」で実績をつんでいく。今はやりの二刀流(韻文と散文の両面)といえるかもしれない。
日本を代表する最も人気のある童話作家の一人としてその地位を確立しているだけあって、「ごん狐」「手袋を買いに」などは、あまたの画家たちによって絵本が創作され、出版された作品が書店の絵本コーナーにズラーと並んでいる。おもわず「すごいなー」と見入ってしまう。1943年、若干29歳で亡くなった南吉の精神は、多くの人々の心に受け継がれ流れ続けているのを深く感じる一瞬であった。
この二人の童謡詩人たちに共通することは、何だっただろうかとふと考える。自分の表現したいテーマを詩という手法で、短い生の中で真摯に描き続けたこと、自分の年齢はとうに彼らを越してしまったが、残る人生の日々の中で真摯に童謡詩に向き合っていきたいとしみじみ感じることであった。きっとその向こうに人のこころに響く世界があるのだろうと思いながら…。
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