「ひらがな」のうつくしさを見つめて 織江 りょう(CARS幹事/作詞家)
日本語は難しいですね。漢字、カタカナ、ひらがな、それに外来語を加えるととても複雑になります。それらの種類の異なった表記から生まれる足し算の組み合わせは、さらに複雑で難しいもののように思われて仕方がありません。
ここはシンプルに考えて、「ひらがな」について考えてみましょう。
一つのことを表現するにも、いくつかの表記があります。
私の知人で詩人・絵本作家の内田麟太郎さんは、言葉の表記について次のように言っています。
大空
大ぞら
おおぞら
私には、「おおぞら」が、いちばんあたたかそうに感じられます。
(内田麟太郎「詩よ遊ぼう」より)
そこには、「ひらがな」のもつ、あたたかくて、はるかな想像に満ちた世界が広がっているように思えてくるからでしょうか。
ちいさな子が初めて出会う言葉の世界があります。言葉との出会いをはじめたばかりのちいさな子が、豊かな想像を描く最初の言葉が「ひらがな」であったことに、ぼくは驚きと同時に感謝の気持ちでいっぱいになります。
「大空」はわからない。「大ぞら」もまだまだ。「おおぞら」なら分かる。初めて出会うちいさな子の目の中に、はるかな宇宙が広がっていくような気がしませんか。ぼくたちは、そんなはるかな宇宙に抱かれながら、ともに生かされているのです。広くやさしくあたたかな世界が広がっているからです。
だから、「大空」ではなく、「大ぞら」でもなく、「おおぞら」でなければならないのでしょう。
そう思うと、「ひらがな」の世界がだんだん輝きはじめ、ちいさな子たちのこころの中に無限に広がり始めるのを感じていきます。「ひらがな」がうつくしいと感じる瞬間です。
蝶々
蝶ちょう
ちょうちょう
ぼくには、「ちょうちょう」が、「あおぞら」の中や「のはら」の中を、いちばん自由に飛び回っているのが見えるような気がするのですが、みなさんはいかがですか?一度こどもの視線で3つの言葉を思い浮かべてみてください。みなさんは、昔そんな視線を持っていたし、子どもの大先輩だからです。
もともと言葉の中には、その言葉自身のもつ音が隠れています。その一つひとつの言葉の音を発見し、それを繋ぎ合わせ、言葉と言葉のリズムを創り上げていくのが詩人の役目です。
音にも表情があって、明るい気持ちの長調、悲しい表情の短調など、一つの言葉がどんな表情を持っているのかを見つけ出し、詩の世界観を汲みとりながら音の世界へと広げていくのが作曲家の役目です。
詩と音楽の融合が出来た時、言葉と音には全く新しい命が吹き込まれ、つばさをもった鳥のように自由に空を飛んでいきます。
そこには、いつも詩人や作曲家の感性や目に見えない不断の努力が積み重ねられているのです。
童謡詩という子ども世界の詩を書きはじめて数十年が経ちます。「ひらがな」のうつくしさを見つめながら、一つひとつの言葉を大切にし、これからも言葉と向き合っていきたいと思っているこの頃です。
