弱者不在の東京オリンピック、パラリンピック。さて音楽は? 菅野 由弘(CARS代表幹事/作曲家)
いよいよ、オリンピックとパラリンピックの年、2020年です。開催に関しては色々意見があるのも当然ですが、やはり単純にワクワクします。この感覚が何なのか、よく分かりません。そして、やるからには成功して欲しいと、心から思います。が、そうした多くの国民の思いをよそに、新型コロナウイルスの感染が拡がっています。2020年3月初旬の段階で、日本では「爆発的感染拡大」とまでは行かないまでも、拡がりを見せています。そうした時に出てくるのが「この国難とも言える時に、スポーツとは何事か」という声。これが音楽になるともっと風当たりが強くなります。「こんな時にコンサートか」と。正に不要不急で「要らないもの」。しかし、本当に不要なものであったら、これほど普及しなかったと思います。巨額の資金を投じ、人類の馬鹿騒ぎとも言えるほどの「祭り」を何故催すのか、その社会的意義と、人の希求を考えると「こんな時にスポーツとは何事か。即刻中止せよ!」などとは言えないことが、自ずから分かってくると思います。
東京オリンピックが開催されるのかどうか、現時点では分かりません。少なくとも私には。仮定の議論をしても仕方ないので、開かれるとして、話を先へ進めます。
つい2週間前までは、こんなことになろうとは考えてもみませんでした。単純に、東京オリンピック・パラリンピックは2020年夏。そして、開催を前提に色々思い巡らすこともありました。当然ながら、多くの問題点も浮かび上がっていました。その一つが、社会的弱者の問題です。
東京オリンピック観戦のため、全国の小、中、高校、特別支援学校、養護学校などの児童生徒を招くと報じられました。益々素晴らしい。社会が成熟しつつある事が感じられ、嬉しく思っていました。ところが、その子供たちや、障がい者が観戦に行く時は、公共交通機関で競技場へ行け、とのことが発表されました。正に仏作って魂入れず。選手は体力勝負、競技場に入るまでに疲れてしまうと、私たちも「極限の技」が見られないので、優先的に送る事に異存はありません。が、次に優先されるべきは、障がい者、子ども達、高齢者ではないでしょうか?更に余力があれば、役員も送れば良いと思いますが、特に障がいなどがない役員は、公共交通機関で競技場に入れば良いわけです。もちろん、遅れては困るので、少し早めに出れば良い、それだけの事です。不思議なのは、これだけ共生社会を目指そうと叫ばれている今、役員たちから、そういう声が出てこない事です。それに輪をかける話が「VIP席が仮設であることを非難した」という新聞記事。誰が誰に言ったかを明らかにするのが報道機関の役目ですが、書かれていないので分かりません。が、これこそ何をか言わんや。障がい者も含めた一般席を十分に取った上で、スペースが余ればVIP席も作っても良いですが、優先順位の履き違えです。
こういう感覚が何処から来るのでしょうか?本当の歴史的経緯は分かりませんが、スポーツは「戦いの練習」「為政者が奴隷を死ぬまで戦わせ、観戦する」ことは事実あったようで、その頃と何ら変わっていないのかもしれません。「共生」という看板は掲げているものの(無いよりはズーっとマシですが)一皮剥けばこういうことか、と。
翻って音楽はどうか?これも順序は分かりませんが、「通信」「戦い」「祈り」が、最初期の音楽としてあったと思われます。そして「戦い」がかなり中心的役割を果たした事も、残念ながら事実です。現代の軍隊には軍楽隊がありますし、どんな未開民族にも「戦いの踊り」があります。科学技術も音楽も、戦争が発展を加速するという、不都合な真実。「通信」もその延長上にあるのかもしれません。実に残念です。が、音楽にはもう一つ、重要な役割が、恐らく最初期から有りました。「祈り」の音楽。特定の宗教という意味ではなく、自分のため、誰かのため、何かのために祈る、引いては、人を悲しみから救い、慰め、癒す、そして深い愉悦をもたらす。「戦い」の音楽の延長として発達した「人を鼓舞する」音楽は、オリンピック、パラリンピックと同様の機能を持ち、やはり人間にとって不可欠、不滅です。しかし「祈り」に連なる音楽は、人間性の発露として人類が獲得した至高のものかと思います。そしてそこには、弱者も強者も、障がい者も健常者もなく、(唯一全く耳が聞こえないと、目で見る音楽か、もしくは振動で感じる音楽となりますが)享受の仕方こそ違え、何らかの形で音楽を共有することができます。視覚障害者や、絶対音感の訓練を受けた人の多くは、脳の聴覚野の一部である側頭平面が、非対称に肥大している(平たく言えば、耳が良くなっている)との医学研究の結果も出ています。創り手も聴き手も多様であり、バラバラで有る事が価値、「一丸となって」やらないことこそ何かを産む、強者も弱者も切り捨てられる事のない(そもそもどちらがどちらを切り捨て、切り捨てられるのかも分からない)世界は、大変素敵なのではないでしょうか。そんな音楽を愛して行きたいと思いますし、愛して頂きたいと思います。
さてさて、ここは、楽譜コピー問題協議会(CARS)のページですので、ひと言。
私たちが愛してやまない、愛して頂きたい音楽、それをコピーしないで下さい。伏してお願い申し上げます。そして、東京オリンピック・パラリンピックが無事に開催されることを祈っています。あ、コンサートも。