[ブログ] 楽譜de散歩
2021.07.01 創作秘話・作家の思い

「楽譜をコピーする」ということ…。  織江 りょう(CARS幹事/作詞家)

【執筆者】織江 りょう(CARS幹事/作詞家)

CARSの活動に参加して5年になります。参加した当初は「楽譜をコピーして何でいけないのだろう」と思っていたのですが、先輩諸氏の真剣な取り組みに接してその考え方も徐々に変わってきました。

在籍期間の間に、著作権が死後50年から70年に延長したように、時代とともに社会の意識も変わってきました。著作権の問題は、少しずつですが作家の権利が認められるようになってきたことも事実です。音楽教室の事案もそのひとつの表れでしょうか。

著作権との係わりの中で、「楽譜をコピーする」という行為はどのようなことでしょうか?次のように考えると分かりやすいかも知れません。

小学生でも、学校や家庭で水道の蛇口をひねって手を洗ったり水を飲んだりしたら、水を使ったり分だけ知らず知らずのうちにお金を払っていることになります。教室に入る時、スイッチを入れて明りをつけたりする場合も同じです。無意識のうちに使った分だけの電気料金を払っているのです。このことに関して、クレームをつけたり疑問の声を発する人は誰もいないでしょう。

しかし、「楽譜コピーの問題とは違う」という方の多いことも事実です。だから、私たちはあらゆる機会を通して、「楽譜をコピーするという行為」がいけないという声を波紋のように広げようとしているのです。そして、それが自然と全体のモラルとなり、意識の成熟した社会になってくれたらいいなと思っています。「楽譜をコピーするという行為」が、インフラの一部としての価値を派生するという意識を社会全体が共有してほしいからです。

ある作曲家が、「楽譜をコピーする」という行為について「基本的に売れている作家の大半は、あまり目くじら立てて言ったりはしません」と言っていたのを聞いたことがあります。ここで私が強調したいのは、時代は一創作者の問題ではなく、あらゆる創作者の著作物である楽譜を無断でコピーすることを社会が曖昧に許容することではなく、ルールに反する行為を許さないという共通認識に立つことを各個人が求められているのだと思っています。

音楽や文学に係るすべての者は、すでに著作者の側にたった思考を持たなければいけないというごく当たり前の考えを、一般教養など大学の講義を通して教育の場で大いに論議してほしいと願っています。

楽譜のコピー問題を考えるとき、児童文学の不朽の名作、ミヒャエル・エンデの『モモ』という作品が思い浮かびます。世界中で愛される作品ですので、みなさんも子どもの頃お読みになった方も多いと思います。「時間どろぼう」と「ぬすまれた時間を人間にかえしてくれたモモ」という女の子のふしぎな物語です。

物語の中にはたくさんの名言があります。

「人間とは時間を感じとるために心というものがある。(『モモ』より)」

これを楽譜問題に置き換えてみると、

「楽譜には創作者の費やした時間と心が描かれている」

となるのではないかと、ふと思わずにはいられません。