[ブログ] 楽譜de散歩
2023.06.07 私の音楽遍歴

故坂本龍一氏を偲ぶ ~ 私のPOPS系譜雑感  島 茂雄(CARS幹事/日本楽譜出版協会理事)

【執筆者】島 茂雄(CARS幹事/日本楽譜出版協会 理事)

3月28日に亡くなった坂本龍一、日本のPOPS界に多大な影響を与えたと思います。お亡くなりになり誠に残念です。坂本龍一、細野晴臣、高橋幸宏がイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)で“テクノ・ポップ”という新ジャンルを発表し、日本ばかりでなく世界のPOPS界を席捲したことは、永く人々の記憶に残ることでしょう。

坂本龍一は、東京芸術大学時代にクラシック音楽を根幹に現代音楽や民族音楽、JAZZやロックばかりでなく電子音楽にも造詣を深めたといわれています。大学院を卒業して、デビュー当時は、初期の山下達郎の楽曲や大瀧詠一、山下達郎、伊藤銀次のアルバム「NIAGARA TRIANGLE Vol.1」などのキーボードとして録音参加していたようです。

「NIAGARA TRIANGLE Vol.1」や大瀧詠一の「A LONG VACATION」は、小生も当時、音源をレコードからカセットに入れて、ウォークマンやドライブでよく聞きました。ドライブ中のバックグラウンド・サウンドに合うので、よく聞きながらドライブしたものです。その後、CDで復活、最近もまた、ニューCDやレコードで再リリースされたと聞きます。大滝サウンドは、永井博のジャケット・イラストも斬新でPOPな音楽のイメージに合っていて、いつまでも次の世代を楽しませてくれるサウンドになることでしょう。

この「NIAGARA TRIANGLE Vol.1」での録音セッションで細野晴臣と坂本龍一が出会うきっかけになり、その後、1978年2月、細野晴臣のアルバムに参加。細野の誘いにより、高橋幸宏とともに「イエロー・マジック・オーケストラ」(YMO) を結成し、活動を開始したといわれています。

小生もラジオ放送や音楽カセットでよく聞いた記憶があり、シンセサイザーの台頭により現代音楽の電子音楽とも違い、エレキバンドとも違う、シンセサイザーや電子キーボードの音楽をメインに“テクノ・ポップ”な音楽は、斬新で耳に音楽が残る新鮮な音楽に感じました。

1980年代は、ウォークマンの登場でどこにいても音楽が聴けて、〇〇しながら音楽が聴ける時代になりました。時代は、音楽をじっくりレコードで聴かせる音楽より、耳さわりの良い音楽がPOPSを中心にヒットしました。

1979年から1980年にかけて、YMOは2度にわたるワールドツアーを実施し世界的に注目を浴びるバンドになりました。そのころ坂本龍一は、1979年アレンジを手掛けたサーカスのシングル「アメリカン・フィーリング」で、日本レコード大賞編曲賞を受賞しました。心地よい男女4人組のユニークなコーラスが「Mr.サマータイム」など大ヒット曲を世に出しブームになりました。また、ユーミンこと松任谷由実の「卒業写真」、「中央フリーウェイ」、「恋人がサンタクロース」等の音楽とともに、「ニューミュージック」という音楽ジャンルがブームを生んだのもこの時代で、音楽のイージーリスニング化やBGM化と無縁ではないでしょう。

80年代は、1969年から開始されたヤマハの「ポピュラーソングコンテスト」が盛んになり、八神純子、中島みゆき、世良公則&ツイスト、長渕剛、円広志、クリスタルキング、あみん、辛島美登里など新人アーティストがたくさん誕生しました。このころ活躍したアーティストは、今でも活躍しています。

先日、若いころカセットでよく聞いていた八神純子のコンサートに行ってきました。声の高さと質は、変わっていませんでした。

POPS界は、シンガーソングライターとして、フォーク・ロックの吉田拓郎、井上陽水、アリス、さだまさし、泉谷しげる、ロック・シンガーの矢沢永吉やサザンオールスターズなどのロック音楽の台頭とともに新たな音楽シーンやジャンルも数多く増えてきました。この時代に活躍したアーティスト、松任谷由実や矢沢永吉やサザンオールスターズなどは、当時から現代まで今もライブコンサート活動を続けています。

アリスは、1981年に活動中止発表があってから後楽園球場でやったラストライブ「アリス・ファイナル」に行きました。野外音楽ステージは、海外でもビートルズなどで盛んになり、日本でも野球場などでフォーク・コンサート等が行われ、アリスのラストライブは野球場でライブを聞く小生の初体験でした。今や野球場(ドーム球場)やサッカー場でPOPSのライブコンサートが開催されるのは、通常なエンタテインメント・イベントになりました。アリスは、その後、2000年ごろから再始動して、現在も活動を続けています。

こんな時代にあって、坂本龍一がご存じのように1983年大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」で映画音楽と俳優で活躍したのは、驚愕的な出来事でした。「戦場のメリークリスマス」の映画音楽は、英国アカデミー賞作曲賞を日本人として初めて受賞しました。その後1987年、映画「ラストエンペラー」が公開され、坂本龍一はまたも俳優として出演し、音楽をデイヴィッド・バーン、蘇聡とともに担当。これによりグラミー賞 映画・テレビサウンドトラック部門、ゴールデングローブ賞 作曲賞、アカデミー作曲賞等を日本人として初めて受賞し、以後、映画音楽作家としての地位を確立し世界的な著名なアーティストとなりました。1992年にはバルセロナ・オリンピック開会式のマスゲームの音楽を作曲、自らも会場でオーケストラを指揮しました。1993年、YMO「再生」(再結成)。アルバム「テクノドン」を発表し、6月には東京ドームにて2日間のライブを行いました。

1999年、CMに用いられたピアノ・ソロ曲「energy flow」を収録したマキシシングル「ウラBTTB」がミリオンセラーとなり、インストゥルメンタルとしては初のオリコンチャート1位を記録しました。

小生もピアノ・ソロ曲としての「energy flow」は、よくCDで聞きました。日本の経済成長が止まり、未来に対する希望を失いかけ、世の中が暗い時代にあってヒーリング・ミュージックがブームになりました。2000年に「〜the most relaxing〜 feel」や「image」CDがともに累計出荷枚数が130万枚を超えるミリオンセラーとなり、ヒーリング・ミュージックのブームに火が付いたのは、このころです。世界的にヒットしていたアイルランドの歌姫エンヤのCDが日本でも紹介されアルバム「ペイント・ザ・スカイ〜ザ・ベスト・オブ・エンヤ」が大ヒットし、癒し系音楽ブームの火付け役の1人となりました。エンヤの「Orinoco Flow」や「Only time」などの定番の楽曲ととともに坂本龍一のピアノ・ソロ曲「energy flow」は、よくヒーリング・ミュージックとして小生も聞いていました。

坂本龍一は、芸大学生時代に作曲を勉強し始めて最初に興味を持った作曲家はストラヴィンスキーだったそうです。14歳の頃、ドビュッシーの音楽と出会い、そこから多大な影響を受け「人生で最も影響を受けた音楽家は、ドビュッシーとバッハである」と語っていたそうです。その後、自身初となるオペラ『LIFE a ryuichi sakamoto opera 1999』を発表。2009年7月16日、芸術家として文化の多様性を豊かにしたことなどが評価され、フランス政府から芸術文化勲章「オフィシエ」を授与されました。

2010年4月NHK Eテレが放送を開始した「スコラ 坂本龍一 音楽の学校」は、音楽を志す若者を対象にした音楽系教養番組でした。「スコラ」(schola)は、ラテン語で「学校」の意だそうです。坂本龍一が講師となり、音楽の魅力を解き明かす人気番組でした。この「スコラ 坂本龍一 音楽の学校」は、「J.Sバッハ」、「ジャズ」、「ドラムズ&ベース」(先日、没後追悼番組でNHK-Eテレで再放送された。)、「古典派」、「ドビュッシー、サティ、ラヴェル」、「ロックへの道」、「映画音楽」、「アフリカの音楽」、「オーケストラ」、「電子音楽」、「日本の伝統音楽」、「20世紀の音楽」等様々なテーマで音楽講義をしていました。毎回、中々楽しい興味ある番組でした。“教授”の愛称のごとく、わかりやすく博学な音楽解説をしていました。レナード・バーンスタインの音楽番組「ヤング・ピープルス・コンサート」のPOPS版を彷彿させる番組でした。

小生もこのレナード・バーンスタインの米国CBS音楽番組「ヤング・ピープルス・コンサート」を中学時代にTVで放映されたのを興味深く見て、影響された音楽番組の一つでした。その後、「ヤング・ピープルス・コンサート」はBS・CS放送やDVDで発売されて、今でもこの番組は見ることができます。作曲家であり、指揮者であるバーンスタインがわかりやすい音楽解説をする教育者としての一面を見ることができます。このTV番組の影響を受けた日本人の指揮者、作曲家や演奏家は多いと思います。

「スコラ 坂本龍一 音楽の学校」は、坂本龍一のクラシックからJAZZ、ロック、民族音楽、映画音楽とさまざまなジャンルを解説しているのは、「坂本教授」の音楽への造詣の深さと通じるところがあると思いました。

先日の没後追悼番組でNHK-Eテレで再放送された「ドラムズ&ベース」編で細野晴臣と2か月前に逝去した高橋幸宏、ピーター・バラカンが登場していました。ドラムの高橋幸宏がバンド・ドラムとして先駆者であるベンチャーズのメル・テイラーやビートルズのリンゴ・スターのドラム演奏法をよく研究していたと話していました。

YMOの音楽の系譜の原点に世界的に活躍し、それぞれ新しい音楽ジャンルを作り上げた2つのバンドを参考にしていて、YMOの音楽の柱でもあるドラムとベースを作り上げていた話は、POPS界の三大バンドであるベンチャーズやビートルズとYMOがそれぞれ独特な音楽ジャンルを世に発表し音楽界を席捲し旋風を巻き起こした音楽に共通点があったといって良いように感じました。坂本龍一が「スコラ 坂本龍一 音楽の学校」の番組で母校の小学生を相手に「リズムとは、」を小学生にリズムの創作活動を実体験させながら最後にYMOと合奏をさせる授業は、見事でした。

小生も小学生時代にベンチャーズの音楽が街のプールサイドで鳴っていた記憶があり、中学時代にビートルズ音楽が音楽番組で旋風を巻き起こしていることを記憶しているし、深夜のラジオ放送でよく聞いていた音楽でした。そして、YMOは、“テクノ・ポップ”という電子音楽、シンセサイザー音楽で、(今では、当たり前な音楽ジャンルですが)異色な音楽ジャンルで世界を席捲しました。この三大バンドの音楽も、POPS音楽ジャンルの中で小生も影響を受けました。

バーンスタインの音楽番組でソナタ形式を説明するのにバーンスタインがビートルズの楽曲を歌いながら例にしていたのは、斬新に覚えています。そして、ベンチャーズは、1962年の初来日以来、ほぼ毎年来日をしており、ドン・ウィルソン亡き後も今年も真夏に来日公演が開催される予定です。

2014年の来日公演をテケテケおじさんで有名なドン・ウィルソンを中心に、ドラマーはメル・テイラー2世のリオン・テイラーだったですが、ほぼ当時のメンバーでライブ鑑賞することができたことは幸運でした。エレキ・サウンドの原点を見る思いで大変感動しました。ベンチャーズの音楽もビートルズの音楽もコード進行やハーモニーやカウンターメロディなどがとてもシンプルな上にどこかでクラシックサウンドを基調にしており、メロディやリズムやハーモニー・サウンドが耳に覚えやすく、世界中に大ヒットした理由ではないでしょうか。

ビートルズ音楽に多大な影響を与えた名プロデューサー、ジョージ・マーティンが、多重録音やオーケストラとのユニットやクラシック楽器等をフィチャーして色々なアドバイスをして録音していたことがビートルズ音楽に多彩さを育んだといっても良いのではないでしょうか。その二大バンドの影響を受け、“テクノ・ポップ”という新しい音楽ジャンルを誕生させたYMO音楽は、他のミュージッシャンにも多く影響を与えたことでしょう。

レナード・バーンスタインは、ミュージカル映画音楽「ウエスト・サイド・ストリー」で、クラシック、JAZZ、マンボなどのラテン音楽や民族音楽などを多彩に使い永遠のミュージカル映画音楽を作曲し、アメリカ音楽の金字塔の一つを作り上げました。今年も日本でブロードウェイ・ミュージカル「ウエスト・サイド・ストリー」が再演されるそうです。

ジョン・ウィリアムズも映画「スターウォーズ」、「未知との遭遇」、「E.T.」、「インディ・ジョーンズ」、「ジョーズ」、「ジュラシック・パーク」、「ハリー・ポッター」等でオーケストラ映画音楽の金字塔を打ち立て、ベルリン・フィルやウィーン・フィルで自作の映画音楽での名演を残しました。今年も日本でジョン・ウィリアムズの指揮でボストン・ポップス・オーケストラやサイトウ・キネン・オーケストラでの日本公演が予定されています。

坂本龍一もYMOの音楽と映画音楽で日本人としてPOPS音楽の金字塔を打ち立てました。晩年、ピアノ・ソロ演奏で数々の自作の名曲を演奏しました。

病気療養中であったことから音響の良いNHK509スタジオで1曲1曲を演奏しながら録画した演奏を生前に放送されました。坂本龍一が尊敬するドビュッシーを彷彿させる、まさに、“白鳥の歌”のような演奏でした。

バーンスタインも坂本龍一も音楽の世界でまだまだ活躍したいことが、たくさんあったことでしょう。坂本龍一の所属事務所のコメントは、坂本が好んだ一節「Ars longa, vita brevis 芸術は長く、人生は短し!」の言葉で締められたと報じていました。合掌

一般社団法人日本楽譜出版協会