[ブログ] 楽譜de散歩
2021.11.01 音楽と社会

『異常気象から徒然に』  下條 俊幸(日本楽譜出版協会 理事長)

【執筆者】下條 俊幸(日本楽譜出版協会 理事長)

最近「異常気象」という言葉をよく耳にする。その言葉も、時折発生する災害報道に触れるにつけ、今では突拍子もない印象は持たない。お蔭さまで自身の生活基盤を揺るがすような災害を経験したことはないが、どういう訳か、今でも妙に頭に残って離れないことがある。今回はその『異常気象』から徒然に思い耽ってみる。

上方落語界を代表する噺家であった桂枝雀さんが亡くなってから久しい。私が古典落語に興味を持ったきっかけになった方である。1980年代から90年代にかけて、関西エリアのテレビ放送で「枝雀寄席」という深夜番組があった。その番組で演目の前、オープニングのネタだったのか、たまたま休日にプライベートで寄席へ出かけた時の落語の枕噺だったのか、それこそ30年以上も前のことなので、はっきりとした記憶はない。
師匠曰く、「そもそも気象というのは異常であって、正常な気象というものはない」という話であったと記憶する。如何せん、落語で、しかも「枕噺」。枝雀さんらしい、屁理屈ではないものの、妙な理屈の一言・二言で、その根拠をお話しするのだが、その時はなるほどと感心しつつ、後になって納まりきれず今に至る。もっとも、その師匠の言う根拠さえすでに記憶から消え去り、私の中での数多くの未解決事案の一つでもある。

今に始まったことではないが、日本では集中豪雨、熱波といったその時々の各地の自然現象が、その都度、日常茶飯事かの如く災害報道として耳に入ってくる。しかも、似たりよったりの内容で、時には過剰とも思える表現を添え、かつ膨大な量とともに日常生活に降りかかってくるのである。
それはテレビ、新聞、雑誌と云う、私たち世代が慣れ親しんだ従来のメディアだけでなく、インターネットを中心とした、いろいろなタイプのSNSからの情報も加わり、今では欠かせない情報認識ツールの役割を果たしているようだ。
そういった広角度な情報は、日常当然のように、時にはありがたく利用させてもらっているものの、中には主義・主張を乱暴に加えたり、場合によっては、正に奇を衒った無責任なものも含まれる。そういったフェイクニュースかの如く、過剰・過大な情報に影響されてしまう人々のどれほど多いことか。ついでに拡散されようものなら、目も当てられない。それはそれで悩ましく感じていることもまた事実である。

私たちの生活を脅かしているコロナの環境対策と現実、ワクチン接種の現状とその効果等々、巷にあふれている、ありとあらゆる社会的事案の正確な理解を得るにあたり、例えば「異常気象」という言葉が、何をもって「異常」とするのか、「正常」の領域は?等々、周辺の情報に影響され、無責任で単純な結論で完結するのではなく、詰まるところ、日々接する様々な情報をもとに思慮を重ね、自身の責任と根拠で正確な理解に繋げていくことが大切なんだということを今さらながら気付かされる。
因みに、気象庁では、「過去30年の気候に対して著しい偏りを示した天候」と定義付けしている。様々な解釈があり得て、実に明確ではない。結局、他者の解釈がどうであれ、私の結論は、気象に関して「正常」という言葉はそもそも相応しくなく、「異常」もしかり。自然相手だけにそれが「自然」。私の中ではそれで十分。

私たちの生業である大事な「楽譜」。従来の紙だけではなく、ご承知の通りダウンロード楽譜、電子楽譜等、今では様々な形式の楽譜が存在する。さらにネット市場では、時折、規範も何もない無秩序な楽譜も認められる。そういった楽譜を何の意識もなく提供する側の良識を大いに疑いつつも、それを抵抗なく受け入れるユーザーが、一握りとはいえ存在することが残念でならない。

適正な利用は、私たちの健全な事業活動に繋がり、数多くの優良なコンテンツの提供が可能となり、音楽愛好家の満足へと昇華し、さらに連鎖し続ける。
時代が変わっても、この原理・原則を原点としてこれからもかかわり続けたいと願うばかりである。
作る側も使う方も、時には「楽譜」について、周りに影響されることなく、一度深く考える機会を作ってはどうだろうか。

一般社団法人日本楽譜出版協会のホームページ http://www.j-gakufu.com/