[ブログ] 楽譜de散歩
2021.12.01 音楽について

カラオケ・ミュージカル  菅野 由弘(CARS代表幹事/作曲家)

【執筆者】菅野 由弘(CARS代表幹事/作曲家)

「偽版画流通、元画商ら逮捕、著作権法違反容疑、警視庁」という新聞記事を目にしました。その中身は「平山郁夫ら有名画家の作品を元に作られた偽の版画が市場に流出した問題」で逮捕者が出た、という話です。名画の複製は多数出回っていて、例えば「ゴッホのひまわり」や「ルドンの閉じた目」の複製は、普通に買うことが出来ます。もちろんその複製のクオリティはピンキリで、単なる写真から、凹凸まで精巧に再現されたもの、はたまた版画による精密な複製品など、様々ではあります。が、泰西名画を手元に置き、部屋に飾ることなど不可能なので、こうした「複製品」を飾る自由も許されて良いか、とは思います。一方で、複製名画は芸術への冒涜で、絶対に容認できない、という人もいますし、複製名画などではなく、それぞれの作家が心血を注いだ本物の絵を飾ってこそ、我々に命を吹き込んでくれるのだ、という見解は、当然尊重されるべきものです。私は、複製名画は飾りません。

さて、そうした中で「有名画家の作品を元に作られた偽の版画が市場に流出」とは、どう評価すべきなのでしょうか。「絵の複製」は、当然のように行われ、それらは流通している一方で「偽の版画」とは? では「本物の版画」が有るのでしょうか? 葛飾北斎を始めとする浮世絵は、元々が「版画」であり、複数の本物が存在しますし、現在でも、セリグラフ、リトグラフ、木版画、エッチングなどの技法による、複数の本物が出来る「版画」は作られています。それらは、作家によって番号が付けられ、何枚刷った中の何番ということが明示されています。浮世絵時代にはそれはありませんが、少なくとも現在ではそうです。しかし、ここで問題になっているのは、例えば、平山郁夫氏の「絵」を元にした「版画」です。画家が版画として制作したのでない限り、全て複製であり「本物の版画」というのはあり得ない。そこで、目に入るのが「著作権法違反」ということです。つまり、複製を作ることは、泰西名画に例を取るまでもなく普通に行われ、流通する「合法的偽物」ですが、その絵に著作権がある場合には「違法な偽物」になるのだろうということに、思いが至ります。その続きに「遺族の許可を得ていない」との文がありました。ということは、遺族が認めれば、偽物の版画が合法になる。遺族とは限りませんが、著作権継承者が認めれば、たとえそれが作家の意志に反するとしても認められる事になります。このことは偽版画の流通よりも、遙かに大きな問題を孕んでいると感じます。作家以外の著作権継承者が許諾を与えれば、「有名画家の作品を元に作られた偽の版画」が「本物の版画」になる、「本物」と称することが許されることになります。

さて、ここまで読んで下さった方は、音楽に関する「楽譜コピー問題協議会」のブログのページではなかったか? しかも題名が「カラオケ・ミュージカル」となっているのに、なにが始まったのか、ページを間違えたかと思われるかも知れません。ここからが本題「カラオケ・ミュージカル」になります。「オペラ」や「ミュージカル」は、舞台の総合芸術として、活況を呈しています。コロナ禍で一時は全てがストップした感がありますが、ようやく復活の兆しが見えます。「オペラ」は芸術表現の最高峰の1つですし、「ミュージカル」は音楽エンターテインメントの最高峰の1つかと思います。歌があり、芝居があり、歌手の演奏と演技があり、オーケストラによる本物の音楽がある。これを観て聴くことは、至高の喜びの瞬間となります。いや、なるはずです。ところが、昨今の「ミュージカル」の中に、本物の音楽、即ちオーケストラがいない公演が散見されるようになりました。さすがに「オペラ」には無いように思いますが、いかがでしょうか? 開演のベルが鳴り、ワクワク感が高まるなか、指揮者の登場かと思いきや、それはなく、スピーカから音楽が流れ始める。更に歌手もいない「バーチャル・ミュージカル」のような新表現ならいざ知らず、普通のミュージカルだと思っていたのにオケがいない場合です。これを「ミュージカル」と呼んで良いものだろうか、と思ってしまいます。ピアノ協奏曲が演奏されるコンサートに行ったら、オーケストラがなく、ピアニストがカラオケに合わせて演奏する公演だった、というのと同じです。当然、それぞれの作品には作曲家がいるわけで、その作曲家が、オーケストラのいない公演を認めるだろうか、という疑問が湧きます。そこで思い出されるのが、美術に於ける「合法的複製版画」です。著作権継承者が認めれば、可能になります。ミュージカルにおいても、作曲家本人ではなく、著作権継承者、もしくは、音楽カンパニーが著作権を持つ場合が多いので、それらが許諾を与えれば、合法的に「オーケストラ演奏を伴わない上演」が可能となる、そしてそれは「本物」となるわけです。「ミュージカル映画」のような、映像作品として真摯に音楽に向き合った作品に異を唱えるつもりはありませんが、仮にも舞台上演し、お客さまに至福の時を提供しなければならない音楽が、「カラオケ」というのは許されるのでしょうか?百歩譲って、カラオケ上演をするとすれば、広報の段階で、これは「カラオケ上演で、オーケストラの演奏はありません」と明示するのが、お客さまへの責任だと思うのですが、いかがでしょうか?本来舞台芸術は、お客様の反応によって演奏は微妙に変化し、テンポや音楽的な運びも日々変わるもの、それを楽しむものです。そうやって、観客と一緒に作りあげる舞台に、一観客として参加する喜びの大きな部分を阻害する姿を、音楽に携わる者として容認することは出来ないと考えています。世の中全て経済で動く、経済原理の前に、芸術活動など木っ端みじんに吹き飛ばされるのが現実です。が、その木っ端みじんに吹き飛ばされた破片の1つを、大切に守って行きたいと希っています。