[ブログ] 楽譜de散歩
2012.09.28 音楽について

楽譜とコピー(その1) 末吉 保雄(CARS幹事/作曲家)

【執筆者】末吉 保雄(CARS代表幹事/作曲家)

この頃、「ああ、あの人の筆跡を知らないな…」と思うことが多くなりました。手紙の字もそうだし、楽譜の筆跡もそうです。

以前いっしょに勉強したことがある人の場合でも、今の字、譜面を知ることが少なくなりました。案内、通知、レポートの手書きはまあ無いし、新曲を見せてもらえる場合も、手書きの楽譜は稀で、多くはパソコンのソフトで作成されたものです。

まずは、読みやすいのは有り難い。よく“おまえの葉書は読みにくい”と言われました。外国人から手書きの手紙をもらうと、しばしば判読に苦労しました。

手書きの楽譜も、読み慣れればそれほどではないけれど、いやだという人は少なくありません。初見は勿論、さらうのに神経を使います(一頃、新曲の手書きコピー譜に慣れるために、初見の教本を、手書き譜をコピー印刷して出版したものもありました)。

そう、パソコンの文字や楽譜のソフトを使えば、プリントアウトしたとき読み易く、さらに使いこなせば、手書きより早く、多くを書くことができます。

たぶんその影響でしょう。オーケストラなど、良い効果を得られると確信しながらも、これまで書く手間の余りの大きさに躊躇いがちだった手法にも、この頃は気楽に踏み込んだ曲が増えてきたように思います。膨大な数の音符が何ページにもわたって続く…そんな曲が多くなった気がします。ワグナーやR.シュトラウスの総譜にさえ見ないような…。(40段を超える五線紙いっぱいにフルオケ用に音符を手書きするとしたら…まる一日机に向かって…さあ人と場合にもよるけど…2、3ページのことだってあります。締切りが目前なら、まあ…べつな方法を選ぶ方が安全ですが…これを、音の組み合わせや、周期の計算を含めてパソコンを使えば、恐れることはありません。)

さて、それで何一つ具合が悪いわけではありませんが、書いた(?)人の筆跡が見えないのが、まずは寂しく感じられます。

筆跡は、言うまでもなく、重要な情報源です。手紙や原稿の筆跡、その断簡からさえ、かけがえない多くを知ってきました。

自筆筆跡が無ければ、むろん、「書」はそれを手本にはできません。読書は、もっぱら活字を読む時代ですから、漱石や康成の筆跡を知る事がなくとも、痛痒を感じることは無いのかも知れません。ただ、筆者をより身近に感じる重要な手掛りに不足します。

楽譜もそうで、かつて「冬の旅」の自筆譜から、衝撃的に多くを感得したような経験は、後世の人には、期待し難いことになるでしょうか?…つまり、将来の人は、いまのA氏やBさんについて、筆跡などは無意味ということでしょうか。

手で文字や記号を書く…その時の筆跡に、手の運びの勢い、角度、行間や余白に、筆者の配慮の何かが残る…それは書かれた内容と関係し、あるいは無関係に…筆者の人の記録を残します。…仕方ないから、プリントアウトした紙に署名してもらいますか…。

(これまで「コピーあれこれ」と題して30回にわたって書いてきました。今回からシリーズ名を上記のように改めます。コピー事情の急変動を、新しい気持ちで考えようと思うからです。今回は、CARSの仕事範囲からは外れましたが、情報の電子化が、人の読み書きの伝統を大きく変えつつあることに注目しました。コピーをより深く考えてみます。)