[ブログ] 楽譜de散歩
2017.04.28 著作権について など

番外(2) 末吉 保雄(CARS代表幹事/作曲家)

【執筆者】末吉 保雄(CARS代表幹事/作曲家)

前回の本欄への寄稿から、今回まで数か月の間に[“音楽教室”の著作権使用料]をめぐっての議論が、あちこちで話題になった。私も、長年、CARSを通じて「適正な楽譜のコピー」を呼び掛けてきた立場として、あるいは、もっと長年“音楽教室”に関わってきた者として、感想をたずねられることも少なくなかった。

この事柄じたいについては、JASRACの対応を信頼しているので、ここで何かを書く必要は無いと思う。ただ、このことを報じた新聞その他のいくつかの記事に(自分が目にしたものは、そのごく一部、ほんの僅かに過ぎないが)たいそう落胆して、考えることが多かった。

とくに、ある日の大新聞朝刊第一面のコラムと、べつの大新聞夕刊の週一度の連載記事の読後には、なんともさびしくなってしまった。論争するに至らない。音楽著作権について、その法律のことも、その背景も、まったく知らないでの話としか思えなかったからだ。

言論の自由だから、むろん、何を書いても、どう思うのも自由で、したがって、その記事について咎め立てする気は毛頭無い。
落胆、悲しい…と言ったのは、つまり“日暮れて道遠し”。CARSや、権利者、つまり音楽を世の中に送り出している人たち、日々何か新しい音楽を人々に問いかけている人たちの立場の主張が、現在なお、まったくもって不十分であり、これからも、もっともっと声を高め、増やしてゆかねばならない…その実感である。

「楽譜コピー問題」のように、むしろ、音楽を演奏しようという動機をもつ人たちへの呼び掛けのほうが、具体的で、わかり易いのだろう。浴びるように音を聞いて楽しんでいる人たちに、そのコストを説くことは、無粋なのか、場違いなのか…そこに、きっと反発を誘う何かが働くのかも知れない。『井戸の水を飲むときは、それを掘った人を忘れてはならない』などと言うと、古代のこと、時代遅れもはなはだしいのだろうか?

しかし我々の呼び掛けが、よりわかり易く、そうお金をかけずに、広く、大量に呼び掛ける…つまり、今日の<情報>伝達の手段をより研究、駆使することで、今までにない大きな影響力を持つ事も、不可能ではないだろう。まあ、悲しむだけでなく、そうも思って、もうひと頑張りしようと自戒しているしだいだ。

一方で、痛感するのは、作詞、作曲者たちからの主張を聞く事が少ないこと。たびたびこの欄にも書いたことだが、この仕事の当事者たちの収入格差は著しい。売り上げるべき額を奪うな!、という人と、売れないことは承知だからタダでも使ってくれという人(この方が多数)が、ともに創作者というわけだ。足並みそろえて、世間に“著作権”を訴えようとしても、ここにうまくゆかない大きな「何か」が有る。

ここで欧米の例を持ち出すのは好きではない。ともあれ、日本の一般社会において、創作、演技、演奏などいわゆるパフォーミングアーツ当事者の仕事そのものへの関心が低いことは事実だ(大当たりを取った演者だけは別)。知識、教養を欠いても、恥ずかしくない世の中だ。

失礼。愚痴は禁物。さあ、もうひと頑張りしましょう!