[ブログ] 楽譜de散歩
2025.11.21 楽譜出版社の思い

「バンドスコア事件」に思う  新居 隆行(日本楽譜出版協会 理事長)

【執筆者】新居 隆行(日本楽譜出版協会 理事長)

昔見た刑事ドラマにこんな話がありました。

──あるミッションスクールで殺人事件が起こる。現場に残された痕跡から犯人の不可解な行動が浮き彫りになる。やがて刑事は、それが戒律に基づく校則を忠実に守った結果であると気づき、校内で最も敬虔な女教師を犯人だと確信する。最後の局面で刑事は、校則の中の「人を欺いてはならぬ」という一文を逆手にとり、「あなたは被害者を殺しましたか?」と問いかけ、女教師はついに自供する──

こんな内容です。
最後に刑事が語ったセリフが印象に残ります。
「戒律の中に『人を殺すなかれ』という一文がなかったことが悔やまれます。」

最近このドラマのことをよく思い出します。

インターネットやデジタル技術の発達により、かつて出版社や放送局、レコード会社などが専門的に担っていた事業に、一般の個人やグループも参入できるようになりました。それ自体は社会の活性化という点で歓迎すべきことですが、一方でモラルを欠いた行為も少なくなく、これは看過できない問題です。

知ってか知らでか法律に明らかに反している行為も見受けられ、これはもちろん問題なのですが、なかには法の抜け道を巧みにかいくぐる者もいて、こちらはさらに厄介です。看板を掲げて商売をしている企業であれば決してしないようなことが横行している。必ずしも「法律で規制されていないこと=やっていいこと」とは限りません。システム化が推進される現代社会の弊害なのでしょうか。法に触れるか否か以前にモラルを意識するという当たり前の感覚が失われつつあるように思えてなりません。

* * *

今から7年前、我が日本楽譜出版協会の会員であったF社が、ウェブサイトを運営するG社に対して訴訟を起こしました。
G社は、F社が制作・出版をしていた多数のバンドスコアを模倣(丸写し)し、自社のサイト上で無料公開して広告収入を得ていました。F社は自らのバンドスコアの販売機会を失い損失を被ったとして、G社を訴えたのです。

あまり知られていないことですが、クラシック音楽の分野とは異なり、ポピュラー音楽の分野においては通常、作曲者によって完成された楽譜(スコア)は存在しません。したがって楽譜出版社は、演奏したいという人々の需要に応えるため、録音物を耳で聴き取って楽譜に書き起こしています。ロックやフォークなどのいわゆるバンドスコアを制作する場合、ギター・ベース・ドラム・キーボードといった様々な楽器が重なり合う演奏からそれぞれの音を聞き分けて各パートに割り振らなければならず、特に高度なスキルが必要です。楽器の特性や演奏法を心得ていなければ成し得ず、その作業には多くの時間と労力と費用を要します。このようにして作り出された努力の所産を横取りするような行為を、G社はおこなっていたのです。

F社は楽曲の作曲者ではありません。したがって著作権法による保護は受けられません。そして日本の法律には「楽譜」という制作物を保護してくれる明確な規定が存在しません。G社はそこに目をつけたというわけです。まさに法の隙を突いた策謀といわざるを得ません。

第一審では、F社の訴えは退けられてしまいました。
楽譜を守るための法律が存在しない以上、審議が難航することは予想していましたが、それでもなお、「本当にこれが認められてしまうのか」と私たち楽譜出版社は大きな衝撃を受けました。もしこの判決が定着すれば、楽譜出版というビジネスそのものが根底から崩れかねない──そんな深刻な危機感を覚えたのです。

F社は迷わず控訴に踏み切りました。私自身も陳述書を提出して、業界の立場を訴えました。
長い審理を経て、昨年ついに高等裁判所の判決が下されました。その内容は、「他人の努力の成果にただ乗りすることは許されない」という、F社の主張をおおむね認めるものでした。この判断に、私たちは胸をなで下ろしました。

G社が上告したことにより裁判は最高裁へと持ち越されることになりましたが、最終的な判断がどう下されるのか、私たちは固唾をのんで見守っています。モラル欠如の横行に歯止めをかけるためにも、判決が覆るようなことにならないよう祈っています。

そして私は同時に、「人を殺すなかれ」などと校則に書かねばならないような世の中になってしまわないことを願うのです。
 

日本楽譜出版協会のホームぺージ