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第5回 大谷惠美さん~合唱指揮者の立場から~

第5回 大谷惠美さん~合唱指揮者の立場から~

クラブ活動や音楽サークルなどで、今、楽譜がどのように利用されているか、また楽譜の無断コピーを防止するにはどのようにしたら良いかなどを、楽団・合唱団を指導する先生方や関係者の方々、楽譜出版・販売事業に携わるスタッフに尋ねるコーナー。第5回は、音楽教育家の大谷惠美さんを迎えてお話を伺いました。

プロフィール
対談コンテンツ

小森:大谷さんは国立音楽大学のご卒業なんですね。うちの父も国立で打楽器科の教授をやっておりました。1975年に亡くなったんですが。

大谷:私が在学していた当時の打楽器科の主任は岡田知之先生だったと思います。私は音楽教育科で、小山章三先生の直伝で勉強させていただき、大変お世話になりました。

小森:小山先生には僕の“音楽物語”《窓際のトットちゃん》をよく使っていただきましたよ。

大谷:トットちゃんの話はよく先生から伺っていました。ちょうど本が出てセンセーショナルでしたしね。

小森:合唱をなさっていたそうですね。

大谷:はい、小山先生の影響が非常に強かったこともあったんですが、もともと歌が大好きで、学生時代は歌ばかり歌っていました。何か歌の関係の仕事をしたいな、とも思っていました。それで、3年生の頃、歌を歌って全国を歩くという「行脚合唱団」というのに参加したんです。小山先生と一緒に全国津々浦々の小中高校をまわり、子供たちと直に触れる日々を体験しました。その経験が私には大きかったです。歌をつくり、劇をつくり、ということを、旅をしながら…。すごく楽しかったですし、この合唱団に参加したおかげで教育の現場に触れて、音楽で子供と触れ合うのが楽しくなってしまった。最初は教員になるつもりがなかったのに、それがきっかけとなって、教職を目指すことにしたんです。たった3年間だけでしたが、高校の教員をやりました。

小森:教師生活はいかがでしたか?

大谷:音楽の授業自体は楽しかったですが、とても学校が荒れていた時代でしたので、ほとんど朝から晩まで生活指導をしている日々でした。そんななかで、音楽教員の存在する意味…、といったことを真剣に考えさせられることになりました。心理学とか、カウンセリングとか、生徒たちの心もフォローできるようなことが必要なのでは?と。そういう勉強もしたいと思って、もう一度大学に戻ろうと思ったんです。それで、学生をやりながらアルバイトもしなければ、と職を探していたんですが、推薦状が必要な職場があって、その推薦状を卒論でお世話になったゼミの先生(現国立音楽大学副学長の繁下和雄先生)にお願いに行きましたら、「今感じている学校教育についての問題点をそのままレポートにまとめて提出しなさい」と言われたんです。それで、当時若く理想に燃えていた私は、「学校が荒れているなかでこそ、学校にもっと音楽活動の喜びが溢れるようにすべきだ、本物の音楽家が学校現場に入っていって生徒に直に接するべきだ…、」と、生意気にもツラツラと書いて先生に提出したんですね。そうしたら、そのレポート(手紙)が届くとすぐに繁下先生からお電話をいただき、「佐藤敏直先生に会いなさい」と。「アルバイトする前に、とにかく佐藤先生に会ってごらん。会って、いま考えていることを全部話してごらん」と言われまして…。佐藤先生のことは、子供のピアノ曲の作曲家としては存じ上げていたんですけれど…、まあとにかく理由がわからないまま緊張して会いに出かけました。

小森:ずいぶんとまた急な展開での出会いだったんですね(笑)。

大谷:今でも忘れませんが、新宿の小さな喫茶店で6時間ぐらいお話をしてしまって。教員をやっていても日々の業務に追われて、教育の問題を先生方と論じるということがまったくできなかった私の、まして音楽の話など卒業以来ほとんどできない日々だった私の溜まったウップンを、丸ごとすっかり聞いてくださいました。しかも終始面白い面白い!と豪快に笑いながら聞いてくださって、別れ際に、「明日からでも僕のところで仕事をしなさい」と。いま思うと、私はすっかり窓際のトットちゃん状態で赤面ものでした(笑)。

小森:佐藤敏直さんといえば、長いことカワイの教育システムを考える部門長をやっていらしたんですよね。

大谷:私は当時、就職活動というものをしたことがなかったので、企業に対する知識が全くなかったんです。「僕のところ」というのがカワイという会社だということも知りませんでしたから、ほとんど騙されたようなものです(笑)。それを知ったのはしばらくしてからだったんですよ。でも、先生のそばで仕事をさせていただけるなら、何でもやります!という気持ちでした。先生も、「思いついたことがあれば、いつでもいいから何でも話しなさい」と言ってくださって。それ以来、佐藤先生が亡くなられるまで最も近くでまる15年学びつつお仕事をさせていただいたわけです。トータルで20年カワイに在籍しました。

大谷:「作品を書くのが自分にとってのいちばんの喜び。そうであるなら、音楽の言葉で言葉以上の思いを伝えること、多くの人へ音楽で語ること、作曲家としてそれが一番の仕事だ」と、よく佐藤先生はおっしゃっていました。若い時代にたまたまカワイでのお仕事のチャンスを得たけれど、作品を通じて多くの子供たちに音楽の言葉を届けられるということは、これは大変な仕事だと。一つ教材を作れば全国で何十万人もの子供がいますからね…。生み落とした作品が、教材となって全国の子供の手元に、心に届くことの重大性を、よくおっしゃっていました。

小森:ちょうどヤマハやカワイの音楽教室ができた時代というのが昭和四十年代前半でしたね。

大谷:私が小学生ぐらいのときですね。とにかくものすごい数の子供たちが音楽教室に通っていたと思います。音楽教室という新しい形態を通して、子供たちやそのご父兄に知らせることができたんですね、ここに音楽という楽しい素晴しい世界があるんだと。それは大変な仕事だったと思いますが、素晴らしい仕事ですよね。「小さなことでも自分が思っていることをカタチにしたら、それを全国の人たちに喜んでもらえる、小さな種まきが大きな収穫を生むんだよ。小さな思いが大きな喜びにつながるんだよ。そのことをいつも感じていたらいいよ」と、佐藤先生はよくおっしゃっていました。創る喜びを、こうして私も教えていただきました。

小森:佐藤先生は慶應の工学部のご出身ですね。僕は同じ大学の医学部だったから、なんとなく話が合って、時々お話していましたよ。同世代でしたし。

大谷:「小森さんっていうのは面白い人だ」ってよく聴かされていました。「変わってる、変わってる」ってよくおっしゃっていましたよ(笑)。慶應の医学部を出て作曲家をやるなんて、どうかしてる、って。

小森:どっちも同じなんですよ。医者っていうのは患者さんの病気を治して元気になって喜んでいただく仕事でしょ?作曲家も同じですよ。曲を聴いて喜んでもらって元気になっていただくのが仕事ですから。世の中の仕事ってその点は共通だと思いますよ。先輩の医者に言われたことですが、医者っていうのはいつも一対一で、治してあげられるのは一人なんですね。ところが音楽家っていうのは同時に何百人もの人を喜ばすことができるじゃない、って。しかも作曲家は死んだ後にも作品が残るわけだから。それは医者としてはすごく羨ましいことなんだよと言われたんですね。

小森:ところで、大谷さんはお仕事がら、音楽療法の世界にも近いのではないかと思うのですが。

大谷:私自身はやってはいませんが、周囲にはたくさんいらっしゃいます。セラピストとしてお仕事をされている方も、ボランティア活動として音楽療法的な関わりを持っていらっしゃる方々もたくさん存じ上げています。養護学校、病院、老人ホーム、さまざまな場所に音楽療法の現場がありますが、どんなリクエストにも応じられる必要があるんですね。童謡、民謡、歌謡曲、ニューミュージックあり、軍歌あり、アニメソングあり、患者さんにあわせていろいろなものが演奏できないといけない。音楽療法の現場で活動される方々は、そういう楽譜をくまなくコピーして持ち歩き用にファイリングされているケースが多いと思います。セッションの現場をみると、演奏する曲をコピーして患者さんや施設の職員さんに配布したり、あるいは歌詞を大きく書いて貼る、そんなシーンが多いですね。

小森:音楽療法はあくまで「医学」であって、音楽の使われ方の性格も違う。楽譜コピーの問題とはいっても、そこまでコピー禁止ということが適用されるものか、それはちょっと検討が必要でしょうね。

大谷:音楽療法の現場で問題となるのは、コピー問題以前に、そういった現場のニーズに対応できている出版楽譜がなかなかない、ということだと思います。だからコピーしてファイルして自分なりの曲集を手づくりで作るしかないんですね。療法士と患者さんとの間に一対一の人間関係ができる。この患者さんとはこの楽譜集、こちらの患者さんとはもっと違うジャンルを取り入れた楽譜集…、というように個別の対応になるわけです。現場でその曲を配る、というか渡さなければならないですからね。楽譜ではなくて曲単位ですから。それでも、色々な出版社からそれぞれ工夫の凝らされた楽譜が出版されています。カワイからもコードネームで弾ける100曲集が数冊出ています。レパートリーのバラエティ、それに弾きやすさも配慮した使いやすいものが必要なんですね。こうした特殊な利用の仕方の中で、新しいジャンルとしての楽譜とそのコピーの問題があると思いますね。幼稚園、保育園の先生方がお使いになるような、「遊びうた」なども同様の課題があるのではないかと思います。