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第4回 小林仁さん~演奏者の立場から~

第4回 小林仁さん~演奏者の立場から~

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~楽譜によって、読みやすい、読みにくい、ずいぶん差があるように思います。しかも使う目的によって違う。~(小林)

小林:話が変わりますが、楽譜によって、読みやすい、読みにくいという差が随分あるように思います。しかも使う目的によって違う。例えば最近のヘンレ版を見てみると、1ページあたりの小節数がとても少なくて読みやすい。歳をとると特に(笑)。そのかわり、めくりが多くなって煩雑でもあるんです。暗譜で演奏する場合にはいいんですが、楽譜を置いて演奏する場合にはかえって大変です。そういう意味ではむしろ昔のペータース版みたいにピアノ譜で8段ぐらいが1ページに納まっているほうがいいですね。それは、今はありませんけど。

小森:昔は鉛の板に筋を引いて音符を打ち込んでいたので、あまり細かく音符や字を詰められない、そんな技術的な理由もあったようですよ。原始的ですが仕上がりはきれいでした。

小林:そんな時代があったんですね。私が疑問に思うのは、昔の、例えばソナチネなどは1ページに8段も詰めてあって、1楽章が見開き2ページで終わるわけです。あれは譜めくりをしないでいいように、という工夫なのか、あるいは浄書屋さんの代金が1ページいくらだから、なるべくページ数を少なくするために、みたいなことがあったのか。

小森:そういう経済的な理由はあったと思いますね。もちろん譜めくりを少なく、という事もあったでしょうけど。もっともシューベルトのソナタみたいに、オクターブで音が重なる部分が多いと、音符を詰めた楽譜ではとても見にくいですね。

小林:そう言えば、譜めくりを少なくするためにコピーをとって貼付けたりしますが、ああいうことは著作権法上は問題ないんですか?我々はしょっちゅうやっていますが。譜めくりの人を置く、というのを嫌う演奏者も増えているんです。5、6ページ分を縮小コピーして1枚の大きな楽譜にして譜面台に置く、そういう方が多いですよ。

小森:現実にそうしないと演奏できないということもありますし、自分が買った楽譜を個人的にコピーするのですから、私は出版社も作曲者も問題視しないんじゃないかと思いますよ。楽譜を買わずにコピーして済ます、という問題とはまた違いますしね。

~コピーができないとなると、結局その作品は日の目を見ない。いくら先生が「いい作品だよ」と言っても、楽譜が手に入らなければ演奏できないわけです。~(小林)

~ただ、問題は「コピーしてもいい」というところだけが一人歩きしてしまう。その結果、楽譜出版社がつぶれて、新しい作品に触れる機会がますます減っていくんですね。~(小森)

小林:このあたりからコピー問題の本質に入ってきましたね(笑)。なぜ楽譜をコピーするか?っていう現実的な問題として、まず楽譜を買うより安い、っていうこと、もうひとつは楽譜が手に入りにくい、ということがあって、だれかが持っている楽譜をコピーするしかない、そういう現実も相当あるわけですよね。で、特に私もしばしば経験することですが、学生から、日本人の作品でピアノ曲はどういうものがありますか?と訊かれるわけです。楽譜店に行っても売っていません、と。で私も、「しょうがないなあ、俺のところにあるから」と、そんな話になっていくわけです。つまりコピーができないとなると、結局その作品は日の目を見ない。いくら先生が「いい作品だよ」と言っても、楽譜が手に入らなければ演奏できないわけです。優れた作品であることと楽譜がたくさん出回っているという事は必ずしも一致しませんから。もっと日本で演奏されてもいいのに、と思う曲の楽譜が手に入らない、そういう問題があるんです。

小森:コピー譜で先生と生徒が練習する。

小林:それだけではなく、当然そのコピー譜を使って演奏会で演奏するということになる。それとそういう曲をコンクールでやるとなるとどうなるか。

小森:少なくとも日本人の作品であれば、JASRACに確認したりして版元にコンタクトすれば、若干の使用料を払うことでコピーは可能です。合法的なコピーもありますし、許諾自体が不要なケースもあります。ただ、問題は「コピーしてもいい」というところだけが一人歩きしてしまう。その結果、楽譜出版社がつぶれて、新しい作品に触れる機会がますます減っていく。よく調べないで、探さないで「入手できない」ということになってしまう。

小林:それともうひとつの問題。なまじ著作権のことを知っている人間が、「これは著作権法にひっかかるよなあ」と思えば、面倒な手続きがいらないものをやろう、なんてことになるケースも出てくるわけですよ。ピアノならまあ1部でいいから面倒は少ないですが、オーケストラともなるとパート譜もたくさんいりますから影響が大きいですよね。オペラとか。

小森:ただ、入手しにくいとはいうけれど、身近な販売店の店頭にないというだけで「入手できない」というケースも多いようです。お店では在庫してくれていないが、実は版元には在庫があったりする。その一方、こんな便利な世の中で望むものはなんでも手に入るのになぜ楽譜コピーだけが咎められるのか、そんなジレンマがあるように思います。

小林:ここまでの話はあくまで個人としてのコピーのケースです。今度はそれがもっと相手が多い場合のお話。入学試験の実技試験の曲、コンクールやオーディションの課題曲。受ける側の数は何百何千、場合によっては万の単位になるかもしれない。そうすると出題する側には、どこでも楽譜が手に入る曲でなければっていうことが求められる。そういうものでないと不公平が生じますから課題曲として扱えない。じゃあやっぱりこの曲はやめておこう、ということになってしまう。私はもっと日本人の作品が課題曲になるべきだと思うんですが、そこにネックがあります。

小森:大きなコンクールでは、前もって出版社に在庫を確保してもらうようにお願いするようなシステムもできていて、昔ほど悪い状況ではなくなってはいますが。

小林:そうですか。ということは、課題曲を選ぶ立場にある先生方が、その実情をきちんと知らないということなんですね。楽譜が手に入らないという先入観があったりしますが、そのあたりの情報がわかればいいですね。ただコンクールやオーディションの募集から締め切りまでの間が短くて、楽譜を取り寄せてじっくり読んでから応募、という余裕がないのも事実です。

小森:取り寄せるのもオンデマンド出版も、結局地域によってタイムラグが生じますからね。たかが2、3日といってもそれは大きい。その問題を解決するとすれば、ダウンロード楽譜で対応するのが現実的でしょうね。それと、オンデマンドで曲集のうち1曲だけ抜き出して入手しようとすると、けっこう高くつく場合もあります。求める側、提供する側の、需要と供給のすりあわせはまだまだできていない。折りあいをつけることが必要でしょうが、まだ今ひとつ見えて来ていないところがありますね。かみあっていない。提供する側にも試行錯誤があるんでしょうが。どこで双方が折りあえるか、見えていないですね。 オンデマンドといっても印刷製本をするわけですから、そうそう安くはできません。著作権の問題だけクリアすればいいのであれば、製本などやめてしまってダウンロードサービスに徹して、ユーザーが自分の家でプリントアウトするのが安くて便利ですね。

小林:ただ、一冊の本としての楽譜を所有する、という価値観みたいなものがあるわけですよね。その作品が普遍的なものであればあるほど、その思いは強くなるでしょう。これは理想論かもしれないけれど、オンデマンド方式が定着したとしても、これはやはり自分の楽譜として座右に置きたい、っていう思いは必ずある、それはコピーとかプリントアウトした楽譜では到底満たされない、ということがやはりかなりの数あると思うんです。その一方で、ダウンロードで、ほとんど知られていない作品でも、検索して探し出して打ち出すことができるというシステム、それをどう棲み分けるか。

小森:ダウンロードの便利さを活かす、という点でいくと、市販の楽譜もそうだけど、例えば合唱の場合、1部だけダウンロードしてあとのメンバー用の何十部かはコピーしてしまう、という問題が起きやすい。大勢が同じ楽譜を使いますからね。ダウンロードサービスには同じ楽譜を「まとめ買い」する機能は備わっていないみたいだし、実現するのも難しそうですから、そういう意味ではこのダウンロードというのは合唱にはあまり向いていないけど、一人で利用するピアノ楽譜には向いていると思いますね。

小林:それと音楽大学の図書館には実は日本人の作品もたくさんある。資料としてとにかく買っておけ、ということで図書館にはあるわけです。ところがそれが絶版となったとき、活用されているかとなると、どうもそうはなっていない。どの家庭にもパソコンとプリンターがあって、検索をしてダウンロード、プリントする。もちろん、著作権の問題はクリアするとして。そういう時代になれば、楽譜コピー問題はかなりの部分で解決できるのではないかと思いますが。

小森:ちなみに、ピアノ教室でテキストとして楽譜を買わせられますが、まあそういう場合、ちゃんとした楽譜を買ったほうが子どもも気持ちよく前向きになるようなところがあるかもしれません。ところが発表会となると、意外と先生の楽譜をコピーさせてもらって、というケースがありませんか?

小林:コンクールのようなオフィシャルなところでは著作権の意識もありますが、発表会レベルではまだまだかも知れませんね。ベートーヴェンのソナタを1曲演奏するといっても、32曲ついてきてしまう。かたや現代作品を何曲か取り上げようとなると、一曲一曲、楽譜代がすごく高いものについてしまいますから。

小森:ピアノの先生としては、お得意先である生徒の親御さんに「買いなさい」とは言いづらい立場にもあるのではないかと思います。「いろいろいい曲を集めてより良い発表会にしたい」。そういう思いを持つ意欲的なピアノ教師がいらっしゃったとしても、それが障害になってしまいませんか?

小林:それは難しい問題ですね。人それぞれ違うかも知れません。逆に曲を書くという立場で考えてみましょう。私も作曲の真似ごとをしたりもしますが、「とにかく弾いてくれれば」、「知られるようになるなら」、「タダでもなんでもいい」、「自腹を切って楽譜をあげてでも」と、そう思ってしまうんですね。そこそこ売れている作曲家だと、「いや、それでは困る。代価を払ってもらいたい」と、なるでしょうが、そのへんの差が作曲家の中でも大きいんじゃないかな。

小森:違う分野でもそういうことがありますね。例えば学者は、自分の論文をタダでもかまわないから少しでも広く使ってもらいたい、世に知られたいと望んだりもしますね。

小林:例えば最初の頃、メシアンの楽譜をコピーして弾いていました。でも時代を経て彼の作品が古典となってくると、これはやはりちゃんとした自分の楽譜として書き込みも含めて持っていたい、8,000円かかったっていい、そういう心境になる。ごく少数の作曲家でしょうけれどもね。コピーが出回ってたくさん演奏される機会があって、結局それが古典として作品が定着していって楽譜が売れるようになるとか、そんなこともあるんでしょうかね。

小森:結局、楽譜出版というのは、作品をどうプレゼンテーションするか、どうプロモートするか、ということですからね。かといっていつまでもプレゼンしているわけにもいかない。そこのところが難しいところです。