楽譜を持つ、という価値観
~著作権思想の普及に関しては、やはり指揮者が相当な任務を負っていると思います。コーラス界は多くがアマチュアの歌い手ですが、合唱指揮者協会はプロフェッショナルの集団ですからね。~(古橋)
~まさに音楽の土壌を痩せさせないために、演奏者がそう考えてくれることが必要ですよね。~(小森)
小森:楽譜は、音楽を演奏するうえで基本となるツールだと思います。ないと始まらないもののはずなんですね。いま、「楽譜は高いか、安いか」という話になりましたが、合唱運動は終戦直後、何もないところから始まった。お金がなくてもできる娯楽だという意識があった。そこが今も残っている、という面がありますね。楽譜が高い安い以前にタダか有料かというところ、「楽譜、買うの?」という感覚が未だに残っているような気がします。器楽をやる人間だと、楽器を買うことがまず必要ですし、音楽にはある程度資金が必要だという意識が最初からあるんですね、最初のハードルとして。合唱の場合、そのハードルの低さが楽譜に対する価値づけの低さというか、気軽にできるがゆえに軽んじられている、そんな気がしませんか?ものの価値観としてきちんとした楽譜の本が手許に残るのと、コピーの山になるのと、どちらがいいか、そういうアピールの仕方もあるような気がします。その問題もけっこう大きいのではないかと思うんです。

古橋:出版業の地位として、これは根拠のある話ではありませんが、ヨーロッパと日本の文化の違いはないでしょうか?ヨーロッパって出版ということについて、モーツァルトやベートーヴェンの時代から確固たるものがあったではないですか。楽譜に対する認識が根底から違うような気がします。
小森:音楽の活動をしていくなかで、楽譜やCDのコピー問題をはじめ、音楽産業の経営基盤をゆるがせる、そんな状況が生まれています。ともすれば音楽をすることが楽譜をなくす方向へ働いてしまいかねないんですね。
古橋:この件に関して、やはり指揮者が相当な任務を負っていると思います。コーラス界は多くがアマチュアの歌い手ですが、合唱指揮者協会はプロフェッショナルの集団ですからね。合唱団に新しく入った人に、「合唱やるのもタダじゃないんだよ」と話していく。そういうことが必要かなと思いますね。大工さんがノコギリや金槌を買うのと同じに、歌い手は楽譜が大切な商売道具だと…。
小森:まさに音楽の土壌を痩せさせないために、演奏者がそう考えてくれることが必要ですよね。権利者側からも言うことがあるでしょうが。この対談のシリーズ、今度はぜひ楽譜を作るサイドの人たちのお話も伺ってみたいんですよ。どんな苦労、どんなコストがかかっているのか。校正にもさまざまな苦労をしながらなんです。享受する側はアウトプットされた果実しか知らないまま使っていますけどね。そのうえで、コピーについては、たやすく手続きできる、そういう環境を作っていくことが必要ですね。著作権の話はとかく「対立の構図」になってしまうんです。それはあって当たり前なんですが、寄り添うというか理解し合うことが必要ですね。せっかく音楽という文化的なものを扱っているのに、なにか殺伐としてしまっている。
古橋:たしかに真っ正面からぶつかりますね。作者は「払って当然」、歌う側は「タダで当然」というところから始まっていますから。
楽譜コピーの問題は音楽の「環境問題」
~楽譜をコピーするということは環境問題と似ている面があると思います。~(小森)
小森:楽譜をコピーするということは環境問題と似ている面があると思います。結局自分のところへ返ってくる。ユーザーがそのことを実感したときにはもう遅い、という意味でも実際の環境問題と似ていると思うんです。楽譜の発行部数は年々減少しているようです。いつか今のサービスを維持できなくなっていく懸念もある。コピーしようにも元となる楽譜がなくなる、そんな事態もあり得るのではないでしょうか。本当は大切だったんだなと思ったときにはもう遅い、と。古橋先生が、数年前と比べて意識が高くなっているとおっしゃってくださいましたが、それをさらにどうひろげて進めていくかですね。
(了)
2007年8月16日 採録