〜自分の楽譜が実際に音になる歓び〜 松尾 祐孝(CARS幹事/作曲家)
このところCARSの活動や楽譜のことをあらためて考えるようになった、作曲家の松尾祐孝(まつお・まさたか)です。このブログには初めての寄稿となります。よろしくお願いします。
私は両親が音楽家という訳ではないのですが、生来の音楽好きだったようで、幼少期から音楽に敏感に反応していたようです。私の幼少期は昭和30年代後半で、日本はテレビ放送の黎明期でした。田舎から上京して貧しい生活をしていた我が家には、なぜか早い時期から丸みを帯びたブラウン管のテレビがありました。そこに音楽番組が流れてくると、3歳頃の私はお菓子の缶をテレビの前に持ってきて、その上に立って、指揮者のような素振りでテレビに向かって両手を動かしていたそうです。本人のその記憶はほんの僅か、微かですが…。
その様子を見ていた母親が、自宅からバスで10分位のところに全国的に有名な児童合唱団が在ることを見つけて、私は4歳から入団することになりました。そこで様々な曲と出会い、時にテレビにも出演して、コンサートのステージにも立つという経験を通じて、私の音楽好きに磨きがかかっていったようです。
その後、小学校に遠距離通学をすることになった私は、入学直前に大病をしたことを気遣った両親の判断もあって、一旦合唱団活動から離れてしまいました。ところが、私が入学した小学校は音楽教育が充実していて、しかも多くの生徒がNHKの児童合唱団(当時は東京放送児童合唱団、現在はNHK東京児童合唱団)に在籍していたのでした。そして、その合唱団を含めた首都圏の児童合唱団が一堂に会する演奏会を聴きにいった帰り道に、「僕、やっぱり歌いたいよ!」と母親に言ったことが切掛となって、2年生になる時に東京放送児童合唱団の入団テストを受けたのでした。そして当時は四次試験まであった難関を突破して合格して、晴れて再び児童合唱団の団員としての活動を再開したのでした。
その合唱団には、夏休み恒例の合宿がありました。場所は何と軽井沢の研修施設でした。3年生か4年生の時だったでしょうか、合宿の授業の一環として、発声練習や合唱練習に加えて、詩を提示されてそれにメロディーをつけるという授業を受けました。大半が上級生という中で、何曲か選ばれた中に私の書いたものが取り上げられて、先生がピアノ伴奏を付けて弾き歌いで演奏してくださいました。生まれて初めて自分が書いた楽譜が音に、音楽になった瞬間でした。何だかとても嬉しく誇らしかった記憶が残っています。私が作曲家を目指すようになった原点となった経験でした。
またその時の感激の中で、楽譜には作者の想いが込められているということを、幼いながらも感じることができました。皆さんも、楽譜に込められた想いを大切に考えながら、楽譜という素晴らしい伝達媒体を大切に扱っていただければと思います。
特定非営利活動法人日本現代音楽協会(JSCM)ホームページ https://www.jscm.net/