想い出紀行 〜 2013年ウクライナ訪問 〜 松尾 祐孝(CARS幹事/作曲家)
ここ数か月、ウクライナへのロシアの侵略による戦争の影が世界を暗く覆っています。まるで第二次大戦以前の帝国主義の時代に遡ってしまったかのような状況に、不安や憤りを感じている方は私だけではないでしょう。
実は私は、ウクライナを訪ねた経験があります。私にとってとても居心地の良い平和で心豊かな滞在となった旅でした。本稿ではその想い出を綴りたいと思います。
ロシアがクリミア半島に乗込んだ2014年の前年、2013年に、ウクライナ東部ドンバス地方の中心都市ドネツクで開催された現代音楽祭〖Donbas Modern Music Art 2013〗からファイナルコンサートの指揮者として招聘されて、初夏の陽気の5月に私はドネツクを訪ねました。そこには、ウクライナ人とロシア人が協力しながら、音楽や文化を楽しみながら、明るく生きている人々が生活していました。今、その人々が果たしてどのような状況に陥っているのか(私の想像などを遥かに越えているでしょうけれど・・・)、想いを馳せながら、ドネツク滞在記を記していきましょう。
2013年5月13日、ドネツク国際空港(セルゲイ・プロコフィエフ空港)に到着。同日夜から音楽祭が開幕となりました。オープニング・コンサートは、ルトスワフスキ生誕100年記念プロジェクトの一環としてのオール・ルトスワフスキ・プログラムでした。私が心の師として仰いでいる偉大な先達である作曲家の最高傑作《Livre (書)》も演奏され、印象的な開幕となりました。
5月14日、日中はドネツク・フィルとの初リハーサル。現代音楽作品6曲でしかも独奏者を伴う協奏曲作品が5曲という超難プログラムのリハーサルは過酷を極めました。当時のオーケストラ楽員には40歳前後に明確なジェネレーション・ギャップがあり、40歳以上の世代は英語をほとんど話せず、以下の世代は英語を理解できるという状況の中で、私は英語で指示を話しつつ、それを若い世代が中堅以上の団員に伝言しつつ、難しいリハーサルは進行したのでした。同日の夜は音楽祭第2夜で、オペラハウス(ドネツク州立アカデミー歌劇場&バレエ劇場)での地元作曲家の室内楽・歌曲作品発表演奏会でした。
5月15日、日中は拙作ギター協奏曲《PHONOSPHERE Ⅳ-b》の独奏者マグヌス・アンデション氏と譜面の確認や街中の散策で過ごし、夜はドネツク・フィルの演奏による音楽祭第3夜は、地元作曲家の管弦楽曲発表演奏会でした。クラシック定番曲目でも現代音楽作品でも熱心に耳を傾けて、良い演奏だと感じたら大きな拍手を贈るというウクライナ・ドネツクの聴衆の反応は、実に微笑ましくまた素敵なものでした。
5月16日、日中はドネツク・フィルとの2回目のリハーサル。現代曲の場合、初回リハは譜読み確認が最優先であまりパットしないことが多いのですが、二回目である程度まとめ上げないと指揮者の人心掌握が難しくなります。ですから、この2回目のリハーサルは誠に重要で、私は全力を振り絞って臨み、何とか本番への手応えを確立することができました。ヘトヘトになった私はホテルで仮眠をとった後、夜の音楽祭第4夜の室内オペラ公演を楽しみました。プログラムには日本の成本理香さんのモノオペラも含まれ、国際音楽祭であることが実感されました。
5月17日、日中はドネツク・フィルとの最終リハーサル。オール現代音楽作品でしかも協奏曲作品を5曲も含むプログラムを、4時間弱のリハーサル3回で本番にかけるという至難の状況を何とか乗り切って、夜の本番、音楽祭ファイナルコンサートに臨んだのでした。演奏会の基本情報は下記の通りです。
< Donbas Modern Music Art 2013 / Festival & Competition >
=[DMMA/2013] ファイナルコンサート
[ Music of our time / Japan – Sweden/Finland – Ukraine ]
2013年⑤月17日 / ウクライナ・ドネツク
フィルハーモニー協会 / セルゲイ・プロコフィエフ・ホール
l プログラム
– Mirjam Tally / Winter Island (b) (c) *
– Thomas Lilieholm / Merging (b) (c) ***
– Masataka Matsuo / Phonosphere 4b (a) **
– Vadim Larchikov / Gethemane *
– Masataka Matsuo / Eternal Livre (new version) (a) (c) **
– Kalevi Aho / 2-cellos Concerto (b) (c) *
注)***世界初演 **欧州初演 *ウクライナ初演
● 演奏
guit / Magnus Anderssion (a)
cello / Vadim Larchikov (b) Olga Veselina (c)
cond. / Masataka Matsuo
orch. / Donetsk Academic Philharmonic Orchestra
『我が街のオーケストラは、今日はどんな音楽と演奏を聴かせてくれるのかな?』といった趣で、子供連れから高齢者までが客席に詰めかけてくる様子に、音楽芸術を自然体で愛するウクライナの人々の姿がありました。テレビ中継も入った会場は満席となり、熱気が高まった中で開演となりました。現代曲ゆえの細かいミスはあったものの、大きな齟齬が生じることを集中力で回避しながら次第にヴォルテージを上げた演奏はリハーサル以上に充実して、終演後は爆発的な喝采となりました。スタンディング・オべージョンになった客席の熱狂の中、何度もステージに呼び戻されて楽員の間を歩くとき、楽員の多くから「Thank you maestoro !」と声をかけていただき、嬉しさと歓びが込み上げてきました。
異国のオーケストラに単身乗込んで、「何者が来たか!」と身構える楽員を前にして、自分が主導して音楽を創り上げていくという経験は、非常にタフでしたがやり甲斐も大きく、素晴らしい経験と心の財産になり、翌日に帰国の途についたのでした。
滞在中の会食の際などでの招聘元や楽員や地元の方々との語らいの中で、『ここにはウクライナ人もロシア人も住んでいるし、一緒に音楽も楽しんでいる。お互いに認め合いながら暮らしていることが大切なのです。』と口々に語っておられたことが印象的でした。そのウクライナ、ドネツクが今は・・・。
2014年以降、連絡がとれなくなってしまった招聘元の方々は今何処に・・・。
世界有数の穀倉地帯でもあり芸術文化を愛する人々が暮らすウクライナから、戦争の嵐が去り、再び平穏な日常が回復することを願ってやみません。

M.アンデション氏と筆者(背後はドネツク・フィル)

オペラハウスの威容

トラム越しにフィルハーモニー協会を望む