スキーと指揮!? 特殊相対性理論と作曲!? 松尾 祐孝(CARS幹事/作曲家)
2023年に入って早くも一ヶ月が経ちました。今年こそは、コロナ禍やウクライナ問題が収束に向かっていくことを願わずにはいられません。作曲家・指揮者・音楽プランナーの松尾祐孝です。今年もこのCARSブログや音楽著作権に関心をお寄せいただきますよう、よろしくお願い申し上げます。
私は、音楽家個人としての芸術活動の他、もう40年にもわたって音楽大学で教鞭を取ってきました。還暦を過ぎても未熟者の私がよくぞ長く教員を続けてこられたものだと、呆れるやら感心するやらですが、ここでは私の教育における持論を少々述べたいと思います。とりとめない話になりますが、暫くお付き合いください。
私たちの幼少期からの教育の享受を振り返ってみると、小学校以来、国語は「国語」の授業で、英語は「英語」の授業で、算数や数学は「算数」「数学」の授業で、物理は「物理」の授業で、化学は「化学」の授業で、地理は「地理」の授業で、日本史は「日本史」の授業で、世界史は「世界史」の授業で、保健や体育は「保健/体育」の授業で、技術は「技術」の授業で、家庭科は「家庭科」の授業で、図工や美術は「図工」や「美術」の授業で、音楽は「音楽」の授業で…etc、といった具合に、科目別、分野別に時間を区切って教育を受けてきたことに気が付きます。
しかし(これは私自身が社会人になってから漸く明確に意識できるようになったことなのですが)、例えば「日本史」と「世界史」は最終的には並行して認識しないと面白くありませんし、政治・経済を本格的に探究するとなると統計処理などに数学を駆使する必要も出てきますし、そもそもあらゆる方向の問題を認識したり設問の回答を書いたりする場合には「国語」の能力が大いに必要となります。
そのように想いを馳せていきながら、私たちが日々の仕事や生活の中で遭遇するあらゆる場面を考えてみると、ある科目や分野の一つに限定した知識や技能のみで解決できることなど、およそ一つも無いと言えるのではないでしょうか。
私自身、音楽大学で教えることを積み重ねてきた中で、学生たちの中に、各種の授業で学習した知識や習得した能力が授業以外の局面でうまく連係・連動できていない傾向があることに、次第に気づくようになり、それを是非とも解決したいと考えるようになってきました。いまだに明快な解決策を見出せないでいますが、私自身が担当する授業や指導の中では、他の授業や他の分野との関わりにもできるだけ言及しながら説明や実習を展開するように努めているつもりです。
音楽大学の学生であっても、自分の専攻楽器や専門分野についての知識や能力の向上だけでなく、社会に出るためのさまざまなスキルや著作権や著作隣接権に関する知識も必要になってきます。また「和声」や「ソルフェージュ」といった基礎知識や基礎訓練の授業で得た能力は最終的に自分の演奏や創作に生かされないと意味がありません。大学だけでなく、あらゆる教育の段階の中で、科目相互の関係性もとても重要だということを、あらためて社会全体で認識しておきたいと考えるようになってきた訳です。科目毎の評価だけでなく、総合力という観点からの評価も定着させたいと願うようになってきた次第です。
世の中のあらゆる事柄は、さまざまな別の事柄と大なり小なり何らかの関係を持っています。場合によっては思いがけない事柄同士が密接に連係していることもあります。私自身に、そういう類の経験のトピックが二つあります。
一つ目は、『若い頃にスキー狂だった私は、何とか次第に上達して、やがて自由自在にゲレンデを滑走できるようになった時に、その重心移動の感覚が指揮のタクトの感覚と結びつくようになって、音楽性を身振りで表現することがとても楽になった。』という経験です。

二つ目は、『ある科学雑誌でアインシュタインの特殊相対性理論の図解入りの解説を読んで大いに納得できたことから、時間の進行は必ずしも全ての者にとって同一ではない相対的なものだと理解できたことが、その後の作曲における時間の扱いに大きな影響を与えてくれた。』という経験です。
この二つの気付きは、私にとって“人生の宝物”と言える大きなことなのです。
“全く無関係と思えるような事柄が契機になって、何かが大きく変わることがあり得る”ということを、これからも心の片隅の留めておきながら、人生を楽しんでいきたいと思っている私です。皆さんにも、何か思いがけないことがあることの転機になった経験はありませんか!?